どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

客観性

物事を判断するには客観性がとても大事です。

自分の感情はでき得る限り排除しなければなりません。

しかし、これがなかなか難しいのです。

私の現在の研究対象は、専ら脳です。

脳は構造上、様々な役割を持つ領域に分けられます。

そして、それらの領域、或いはもっと細かい部位によって、その遺伝子の発現は劇的に異なります。

従って、複数の個体を用いて遺伝子の発現を比較する場合、脳の部位をきちんと合わせる必要があります。

じゃあ、どうやって合わせるのかと言うと、これが「見た目」なんです。

勿論、様々な構造上の特徴から部位を合わせますが、最終的に判断するのは「自分」の「見た目」です。

これがとても難しいです。

加えて、実験には必ず揺らぎが生じます。

誤差です。

例えば、前述の脳の部位ですが、実験の手法的に最大40マイクロメートルの位置がずれる要素を含んでいます。

そしてこれだけずれると、遺伝子の発現は異なるものになってしまいます。

実験をする以上、初めからある程度の結果の予測があります。

予測は「期待」と言葉を変えられます。

つまり、「こういう結果が出ればこの仮説の信憑性が増すな」ということであり、もっと言うと「こういう結果になって欲しい」ということです。

同一の個体において、「ほぼ」同位置のAとB、二枚の脳の遺伝子発現写真があったとします。

そして、自分の仮説にとってはAを選んだ方が都合がいいとします。

この場合、Aを選ぶかBを選ぶかが問題なんです。

Aを選べば自分の仮説に都合がいいように選んだ気がするし、Bを選べば自分の都合で選ぶのはダメだからということですけど、結局はこれも自分の都合で選んでいるということですし。

この判断には客観性が皆無なんです。

今日は脳の写真を見ながら一日悩んでました。

自分で選んだのは果たして客観的だったのか。

しかもExcelでデータをまとめたら、微妙だし。

選んだものによって結果が変わる。

一番客観的なのは、何にも利害の無いその辺の人に、どれが同じ部位だと思う?と聞いて決めてもらうことなんですよね。