屋上で色々と考える
私は考えることが多いときは、大抵屋上に行きます。
今日もそんな理由で屋上に行きました。
割と緊急に考えないとならないことが3、4つあったからです。
その中の一つが何となくまとまったので、忘れないようにメモです。
私は先日、ちょっとしたミスをしました。
下記のエントリのように夜中にメールをしなくちゃならなくなったのはそのミスのせいなんですが…。
その結果、共同研究先の教授への信頼を一段階引き上げざるを得なくなりました。
この「信頼」についてちょっと考えました。
「信頼」という感情は「喜怒哀楽」とは違い、他者が必要な感情です。
他者っては非常に面倒な要素です。
「信頼」という言葉をどういう言葉に置き換えた時が一番しっくりするかを考えると、恐らく「秘密の共有」だと思います。
「自分の性質」というのは言動、行動からある程度滲み出るとは言え、基本的に秘密です。
そして、「この人にならここまで自分を明かしても大丈夫」と言うラインが信頼です。
逆に言うと「ここまでなら自分を拒絶しない」というラインです。
当然、このラインは相手によって変わります。
では、このラインは何を持って判断するんでしょうか。
それは言動、行動からある程度滲み出て来る「相手の性質」および「自分への信頼の程度」が大きな要素を占めると思います。
これは両方が必要で、「相手の性質」が、例えば優しそうとか、そういう「信頼に足る」性質であっても相手が自分を信頼していないと感じれば中々自分を明かすことはできません。
逆に相手が自分を信頼していると感じても、例えば「嘘」とか「隠し事」とかの言動、行動をとられると、やはり信頼はできないと思います。
もし、信頼を深めたいのであれば、前者の場合は、「自分を信頼してもらう」ために言動、行動その他で示していくしかありません。
後者の場合は、「信頼できない原因の要素」を取り除くしかありません。
どちらの場合も対話と時間が必要です。
また、後者の場合は特に、相手の協力が必須です。
そして、お互いの信頼のラインが釣り合っている相手とは、一緒に居てとても心地いいのだと思います。
自分のミスは「秘密の共有」の秘密の内容を「研究上の情報」として考えて下さい。
必要以上のことを言ってしまって、それをフォローするために更に多くの秘密を明かさざるを得なかったんです。
その結果、自分の気持ちと情報の共有具合が乖離してしまって、とても気持ちが悪いのです。
あーもー、共同研究先の教授のこと信頼してるから、どうかよろしくお願いしますorz