唯我論
確実に、この世界は存在しています。
それは疑いようがありません。
別に私が居ようと居まいと、ここに地球が存在するという事実は変わりません。
主役を自分にしてみます。
「私にとって」は自分の感じられる世界が全てです。
感じられないところは極端な話、存在していても存在していなくてもどちらでも構いません。
この考えを押し進めると、感じられさえすれば別に世界は存在していなくても構いません。
仮にこの世には自分一人しか存在していなくて、今知覚している全てのものが自分の脳だけが感じている妄想だとしても、一向に問題はないことになります。
問題があるとすれば、脳の妄想である時点で、予想外の出来事が起きにくくなることくらいでしょうか。
藤子・F・不二雄さんの短編にこの考えを元にした傑作があります。
「どことなくなんとなく」
このブログのタイトルの由来です。