どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

判断すること

私のような適当な人間がこのように簡単に情報を発信できるくらいですから、一昔前よりも手に入る情報の量が膨大になっています。

情報を「入手する」時代から「選択して捨てる」時代に変わったのではないかと思う程に。

当然のことですが、入ってくる情報は玉石混合です。

その中で自分にとって必要で有意義な情報を如何にして取捨選択するか。

今必要なのはこの能力だと思います。

換言すれば、情報の本質を判断し見極める能力です。

入って来る情報に適切なバイアスをかけ、必要そうな情報を多く集めることは第一段階として必要です。

この情報収集能力が高い方があらゆる点で有利であることは言うまでもないと思います。

しかし得た情報から、より重要度の高い情報を抽出することが出来なければあまり意味がありません。

情報の本質を見極め、取捨選択するためには、その情報に対する知識の立脚が必要です。

知らないことは判断できません。

そして知識とは情報の集合体です。

従ってここで知識と情報の取捨選択との間に正のフィードバックループを形成することが出来れば、本質を見極める能力に磨きがかかっていくのではないかと思いました。

私が普段行なっている研究は、実験から出たデータが何を意味しているのかを判断しなくてはなりません。

本質を見極める必要があります。

私は、ある遺伝子を欠損させた時に出る影響を解析することによって、その遺伝子の機能を推定しているんですが、何がその遺伝子の本質的な機能なのかを判断するのはとても難しいんです。

例えば、もうちょっと大きな例え話として、鼻を無くしたとします。

クリリンみたいに。

鼻を無くした時に得られる情報(データ)としては、「匂いが分からなくなる」です。

つまり鼻は「匂いを嗅ぐために必要」だと分かります。

これが鼻の機能の本質であることは疑いの余地がありません。

しかし、鼻が無くなることによって「眼鏡がかけられなくなる」し「鼻くそがなくなる」んです。

かといって鼻は「眼鏡をかけるためにある」わけでも「鼻くそをつくるためにある」わけでもありません。

でもこのように判断できるのは、「鼻」に対する知識があるからです。

遺伝子の機能の場合は、この判断がとても難しいです。

もっと情報を集めて、取捨選択して、知識を増やして、勉強していかないと、と強く感じます。

正確な判断をするために。

自分のやってることが鼻くそだったら嫌だなあ、という話でした。