どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

手元の国語辞書によると「和」という漢字の意味の中に、

・なかよくする

・穏やか

・調子などを合わせる

とありました。

「和やか」「平和」「温和」「和合」「柔和」などです。

「和」はとても大切です。

特に人間関係の上では欠かすことができません。

「和」を保つために必要なものに「空気を読む」ことが挙げられると思います。

空気を読む理由は和を保つためです。

でも「空気を読んだ上」で「それを無視する」ことも時には必要なのではないかと思いました。

「空気を読めない」こととは根本的に違います。

和を乱すことも必要ということです。

空気を読むと言わない方がいいかな、と思っても、自分の譲れない主義主張の場合には和を乱してでもアピールをしないとならない状況もあり得ると思います。

具体例を挙げます。

ドラえもんって子供が見るもんだよね」

「そうそう、見ても小学生まででしょ」

「最近は声も変わったらしいじゃん」

「そんなのドラえもんじゃねーよ」

空気を読んだ場合

「そうそう、そうだよね」

空気を無視した場合

「いや、ドラえもんは大人の鑑賞にも充分に耐えられる、奥が深い物語だよ。子供は子供で、大人は大人でそこから受け取れる意味も違ってくるような話も多いし。声が変わったのは確かにショックだったけど、大山ドラの末期に比べたら余程良くなってるし、原作の雰囲気も出てる。春の映画ののび太の恐竜2006には実は結構期待してるんだ」

いや、空気が読めないわけじゃなくて、読んだ上で無視してるんですよ。

譲れない主義主張

確信犯なだけにタチが悪いという話。