誰のため?
もっと根本的な問題だと思うんですけど。
この記事を読んでみて下さい。
一部引用します。
ノートを取ろうとしない生徒には、書き込み式教科書を。教科書を開くことをしない場合は、漫画を載せて注意を引いてみる。来春から使われる高校教科書に、勉強嫌いの生徒を意識した教科書が登場する。進学校向けには、その学年を超えた学習内容が盛り込まれる教科書も少なくない。「学力の二極化は、もう止まらない」との声が教科書会社から出ている。
授業中、携帯電話でメールを打ったり、化粧をしたり、教師の話を聞かない。何度も練習したはずの漢字がテストで書けない。答案用紙には、『単位ちょうだい』と書き込みがしてある。「生徒がノートを取らないなら、教科書をノート代わりにしたらどうか」という意見が編集会議で出た。穴埋め式は問題集にもなる。教科書1冊で完結させようというアイデアだった。
教科書にメモをするスペースが出来ることに関しては、とても良いと思います。
その場で気になったことを書き留めておけますから。
個人的に「穴埋め」には意義を見出せないので、これは要らないと思いますが…。
そもそも「勉強」って誰のためにやるもんなんだろうと考えると、結局は自分のためです。
それに気付かないうちは、教科書を漫画にしたって勉強なんてするわけがありません。
わざわざ「お願い」をしてまで勉強させる必要があるのかと。
極端な言い方ですが、勉強しなかったことでその後がどうなったとしても、それは本人の責任だろうと思ってしまいます。
もちろん、教師や親やその他(教科書業者もなのかな?)は、本人に勉強をする意義を気付かせる手伝いをする必要はあります。
ただ、それは教科書を「漫画」にして目を引くことではないと思うんです。
私が高校生の頃、真面目に勉強していたかと言うと、決してそうではありませんでした。
寝てたし、遊んでたし、授業聞いてなかったし。
ですからあんまり偉そうなことは言えないんですが、その結果がどうなったとしても、それは自分自身に責任が帰属するという最低限の意識はあったように感じます。
何しろ高校に入学したのが10年前なので、最近の高校については全く知識がないのですが、こういう対策を講じなければならないような状況なのでしょうか?
勉強する意思のある生徒にとって、周りの人間が邪魔であるほどの。
だとしたら、更に抜本的なことを考えないとならないんだろうな…。