どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

光陰

一日は24時間。一年は365日。

時間だけは万人に平等だと良く聞くけれど、本当にそうなんだろうか。

人間、歳をとって社会的地位が上がるに伴って、或いは結婚や子供などの要素が加わることによって、「自分のために使える」自分の時間は確実に減少します。

「自分以外の何か」に忙殺される時間が段々増えていきます。

かと言って、そのことが悪いことかと言えば、多分そうでもないはずです。

「子供のため」「家族のため」「仕事のため」と納得できる時間の使い方である場合も多いと思うからです。

ただし、純粋な意味での「自分のため」の時間は限られたものになると思います。

ここで「純粋な意味」と書いたのは、上記の「子供のため」「家族のため」「仕事のため」も最終的には「自分のため」であるとも考えられるからです。

今回書きたいのは、一義的な意味での「自分のため」の時間ですので。

私自身、何となく納得していた話に、「歳をとると時間の進み方が早く感じる」という現象がありました。

「現象」と言っていいか分かりませんが。

私が納得していた説明としては、「歳をとると、今までに経験した時間に占める一定時間の割合が減るから、短く感じる」という説明でした。

つまり、10歳の人にとっての1年は10分の1の時間ですが、50歳の人にとっての1年は50分の1であるため、短いと感じてしまうというものです。

今日ちょっと思ったのは、「時間が短く感じる」のは、そもそも「自分の時間が少ないから」であるのではないからかな、ということです。

たまの休日が「あ、もう終わりか」と感じてしまう気持ちにちょっと似てるかもしれないです。

時間はあるように思っても、意外に少ないのかもしれません。

私は今、25歳です。

大体25歳の人は、働いている年齢だと思いますし、結婚して子供が居てもおかしな年齢ではありません。

でも私は未だに学生という身分で時間を消費しています。

今学生であることは、紛れもなく私の意思で進学したわけですし、我が侭を通した結果ですので、「自分のための時間」にカテゴライズされて然るべき時間です。

「24時間」は平等だけれど、「自分のための時間」はきっと多いんだと思います。

でも、果たしてこの時間を有効に利用しきっているだろうか、と考えた場合、残念ながら現状では完全に肯定することが出来ません。

時間はあるようであんまりないし、今のうちにもうちょっと頑張ろうかな、という話。