どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

無責任責任

今日は仙台七夕を見てきました。

いや、七夕が目的なのではなく、Apple Storeでマウスを買いたかっただけなんですが。

そしてマウスは売り切れだったんですが。

もうネットで買うことにします。

お祭りなので、当然のように人が沢山居ました。

そしてその沢山の人達の中に、「親子連れ」が居たことに関しては想像に難くないと思います。

そんな親子連れのある行動を見ての感想です。

私が赤信号をボケッとした顔で待っていると、5歳くらいの子供を連れた母親らしき人と父親らしき人がいました。

そして、彼らは何食わぬ顔で赤信号を渡って行きました。

私は、猛烈な違和感を覚えました。

確かに狭い道ですし、車も来る気配はありませんでした。

だから赤信号を渡っても「おそらく」安全だと思います。

言葉を換えるなら「安全である」と判断しても間違いではないと思います。

しかし、この判断を出来るのはある程度の経験を積んできているからであって、その経験の浅い子供がどこまで確実な判断ができるかは分かりません。

子供と一緒に居る時に「赤信号を渡る」という行為を繰り返していると、子供が独りで歩いている時にも「赤信号を渡る」ことをすると思うんです。

その時に判断を下すのは子供自身であり、その判断が正確かは分かりません。

だとしたら、子供のリスクを最小限にする意味でも「赤信号は渡らない」のが親としての最低限の責任だと思うんですが、どうなんでしょうね。

子供が例えば10年後くらい、10代の後半になっていれば、彼の判断で赤信号を渡る程度のことは別に構わないと思います。(奨励しているわけではないですよ)

まあ、その時であっても親としては「赤信号は渡らない」べきだとは思いますが。

これは「そういうルールだから」とか言う理由ではなく、「危険だから」。

それが本質だと思います。

私は子育てをしたことが無いので、ここからは想像の話になるんですが、子供に物事を教える時には「本質」を見極める能力がとても大切だと思います。

一番大切なことを、子供にきちんと分かりやすく説明して「理解してもらう」ことが重要なのではないかと思いました。

子供が悪いことを「しない」理由が、「怒られるから」ではなくて、「こういう理由でやってはいけないから」となるようにすること。

子育てはそんなに簡単なものではないことは承知しているつもりですが、心構えとして、私は今のところこのように考えています。

いつになったら子供を持てるようになるかは別問題で。

10代の後半に信号を無視して交通事故にあった私の感想でした。

私はそれ以来、赤信号は渡らないことにしています。

「車来てない」と思っても、それは私の脳が認識できていないだけかもしれませんから。

視覚は過信しない方がいいです。