命の選択
数日前から、死国の作者の人が子猫を殺していることを日経のエッセイに発表したことについて、色々なところで色々なことが言われてます。
この騒動を見て数日考えていました。
確かにこの人のしたことは論外です。
生まれてきた子猫を殺すのではなく、生まれて来ないように対処すべきだと考えるからです。
自分の都合で生き物を殺すような人間には、動物を飼う資格はないと個人的には思います。
反面、自分の都合で生き物を飼うんですから、その「死」まで責任を持つべきだとも思いますが。
でも、今回私が書きたいのは、この件に関して「動物を殺すのは良くない」と脊髄反射的に反応している人達についてです。
個人的に「私は清廉潔白なんだ」という顔をして動物愛護を振りかざすような人達が好きではありません。
彼らは「自分の生は膨大な死の上に成り立っている」ということを忘れているような気がしてならないからです。
もちろん無闇に命を奪う行為は論外です。
しかし、人間が今の生活を維持しようとする限り、「必要悪」として生き物を殺すことは不可避です。
例えば「食べるため」なら私は問題ないと思います。
しかし「お腹空いてないから」「肉嫌いだから」「ダイエット中だから」と残飯になってしまった「元動物」たちは「食べるため」だったのか「無駄死」だったのか。
個人的には、直接手を下すことをしていないだけで、膨大な命の搾取を行なっているということを少しは意識した方がいいんじゃないかな、と思ってます。
ちなみに私には上記の通り、生き物を飼う資格がありません。
生き物をかわいがること自体、自分の中では整合性が取れないので。