どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

見上げるオリオン

夜が少し深まった時間に空を眺めるとオリオン座が見える季節になりました。

そしてこのオリオン座のベテルギウスと共に冬の大三角形を構成する星に、おおいぬ座シリウスがあります。(ちなみにもう一つはこいぬ座プロキオン

シリウスは太陽を除けば全天で最も明るい恒星です。

地球からの距離は約8.6光年。

シリウスを見上げれば、目に届いた光は8.6年前に発せられたものです。

今見ているこの光がシリウスから飛び出した8.6年前、私は高校生でした。

その頃思い描いていた未来に、自分は今立てているんだろうか?

シリウスを出発した光を見る頃には、私はどうなっているんだろうか?

夜空を見上げるとそんなセンチメンタルな気分になります。

嘘じゃないです。

嘘じゃないことにします。

高校生の頃、私は科学者になりたかったんです。

まだ「科学」の中身については何にも考えてないくらい浅薄でしたけど。

今はどうにかその道に片足を突っ込むことは出来たように思っています。

でもこれからどうなるかは全く分かりません。

今のところ、この道をこのまま歩いていくつもりですけど、どこにどんな分岐点があるかなんて分かりませんし。

ある程度の予測をすることはできますが、所詮は希望的観測です。

それに、全てが分かってしまったら面白くないですしね。

先が分からないのは面白いことです。

そう考えていた方が精神衛生上良いです。

ギリシア神話ではパンドラの箱からあらゆる災厄が飛び出し、パンドラが慌てて蓋を閉めた時には箱の中には一つしか残っていなかった、と描かれています。

ただ一つ残ったのは「希望」とよく言われますが、厳密には「未来視」の災厄が残りました。

「未来視」は「未来を全て見ることの出来る災厄」です。

未来を見ることができないからこそ、「希望」を持てるということです。

不可避の未来が分かってしまうとしたら、そこにあるのは絶望だけですから。

私の未来視の能力によると、あと2時間近くは帰宅できないことが判明しました。

そこにあるのは絶望だけでした。