ジョハリの窓
よく「自分を客観視した方がいい」という論調を見かけます。
しかしこれは明らかに矛盾です。
自分のことはどう見たって「主観」としてしか捉えられないと思います。
重要なのはその主観が正確であるかどうか、ではないでしょうか。
でも「正確な主観」というものはとても難しいです。
どうしても「過大に」あるいは「過小に」評価してしまいがちです。
そして他人が「客観的に」下した評価と、自身の「主観的な」評価の乖離が大きいと、それはとても不安になります。
心理学者のJoseph LuftとHarry Inghamが発表した「対人関係における気づきのグラフモデル」というものがあります。
ジョハリの窓のことです。
これでは「自己」を4つに分けています。
「自分も知っているし他人も知っている自己(開放の窓)」と「自分は気づいてないものの他人には見られている自己(盲点の窓)」と「自分には分かっているが他人には分からない自己(秘密の窓)」と「自分も他人も気づいていない自己(未知の窓)」と。
「主観」には「盲点の窓」がありませんし、「客観」には「秘密の窓」がありません。
すると「主観」と「客観」との乖離には、この二つの窓の差が大きな役割を果たしていると思います。
私は「自分は過大評価されすぎだよな」と感じることがあります。
でも自分自身を過小評価しているのかもしれません。
私自身が気づいていない部分に何か評価に値することがあるのか、自分しか知らないことに何かやましいことがあるのか。
やましいことの心当たりは多いですけど。
本当は評価なんて気にしないで自分の思うことを自分のやりたいようにやれれば最高なんだと思います。
今やりたいことをやれるならば、全部放り投げて温泉にでも行きたいです。
来週研究室の講座旅行で温泉に行きますけど、そう言うのではなくて一人でぶらりと。
湯けむり殺人事件。