誤差の範囲
諸説諸々ですけど、宇宙の年齢が137億年もあることを考えると、人間一人というのものは誤差の範囲内です。
どんな偉人であっても、このスケールで見れば誤差です。
じゃあ、どんなスケールで見れば誤差ではなくなるのか、と考えてみました。
歴史上に名前を残す人物であれば、「歴史」のスケールまでスケールを小さくすれば「誤差」ではなくなります。
「有意差」です。
でもこのスケールで有意差にまで至れる人というのはそんなに多くありません。
世界には60億人くらい人がいます。
大体の人は誤差ですけど、例えばアメリカ合衆国大統領などの影響力は有意差です。
時間軸や空間軸だけがスケールの取り方ではありませんが、この「スケールの取り方」を小さくすればするほど、詳細に見れば見るほど、「有意差」に至るための閾値は低くなります。
「世界史」では誤差でも「日本史」なら有意差の人もいるでしょうし、「日本史」では誤差でも「地域史」なら、「地域史」が無理でも「家族の思い出」なら有意差の人もいると思います。
ナンバーワンになれなくてもオンリーワンであればいい、「自分史」では自分は誤差じゃないぜ、という人もいるかもしれません。
世間的には小さくても私にとっては大きめのスケールで見てみると、私はやっぱり誤差の範囲です。
私の存在が誤差の範囲内であるのならば、私が何をしようとも大局には影響を与えないことになります。
誤差がどう動いても誤差なので。
ということは、誤差なら誤差なりに好きなようにすればいい、という結論に達しました。
どうせ誤差なら好きなようにやらないと何となく損です。
そうこうして動いているうちに無視できなくなるくらいの影響力が得られれば、そのスケールでは有意差になります。
でももうちょっと大きなスケールでは相変わらず誤差です。
このスケールがある程度大きくなるまでは、好きなことを好きなようにやるのが誤差として最も楽しいやり方なのかもしれません。
流石に世界規模で有意差の人が好き勝手にやると、戦争になったり不況になったりすることもあり得るので、ちょっとマズいのかもしれませんが。
あれ、ちょっと心当たりがありますね。
この泡沫ブログにしても、数多くあるブログの中では誤差の誤差です。
そしてそれを書いている人間もやっぱり誤差です。
すると誤差の範囲について書いたこのエントリも誤差なので、これからも誤差らしく好き勝手に書こうと思いました。