どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

人を見る目

人を判断することはとても難しいことの一つですが、これは自分で判断しないとならないことの一つでもあると思います。

最も他人の意見に影響されやすいにも関わらず、最も他人の意見を排除して判断しないとならないことです。

今日(日付的には昨日)、研究室で仕事をするフリをしながらまったりとネットをしていたら、こんな話が聞こえてきました。

誰々がムカつくとか、そんな話です。

私はそういう話は好きではないので関わらないようにしてますけど、何人かが巻き込まれてました。

何となく聞いてしまった話から判断するに、私にはその「ムカつかれている」人物にはあんまり非がないように感じました。

その人は他の研究室の人ですけど、私も面識がありますし、話をしたこともあります。

そして私はその人のことを別に嫌いでもありません。

会話の流れでは、その人のことをムカついたきっかけから、「誰々がこういうことされたらしいよ」とか「誰々もあいつのことを嫌ってるらしいよ」とか、そういう話になってきていました。

「伝聞」をさらに「伝聞」している感じです。

その話に相づちを打っていたのは、話の対象となっている人のことをよく知らない人でした。

よく知らない人の話で、最初にネガティブな印象を受けさせられて、これから彼はその人のことをきちんと「自分の判断で」見られるかが少し心配です。

まあ、その場で何も言わなかった私も多分同罪ですけど。

私にももちろん、「大嫌い」な人から「大好き」な人まで居ます。

そして私はあんまり他人を話題にすることが好きではない(得意でもない)ので、本人がその場に居ないときには会話の種にはできるだけしないんですが、それでも会話するときには「好き」の方にカテゴライズされている人を対象に話をしたいです。

ポジティブであろうとネガティブであろうと他人に対して「印象」や「先入観」を与えてしまうことには変わりはありませんが、それならば「ポジティブ」な印象の方が良いだろうと思います。

ネガティブな印象を持つことは構わないと思うのですが、それを他人に言う必要はないだろうと。

「先入観」を与えてしまうこと自体が正しいか否かについてはまた別問題ですけど。

私の居ないところでは、もしかすると私に対する「批判」もなされているのかもしれません。

別に誰が何を言っていても全く構わないんですが、「私」という人物を判断するのはその人自身の目でやって欲しいなあ、とは思います。

その結果が「ムカつく」とか「嫌い」なら、それは仕方ないです。