どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

コミュニケーション

相手によって色々なペルソナを使い分けることは、別にそれほど特別なことでは無いと思うのですが、これが極端だと少し疲れてしまいます。

相手によって、見せられる自分の深さというか、レイヤーが違うとも言い換えられるかもしれません。

「何処まで見せられるか」というのは、付き合いの長さよりもむしろ、感覚的なものの方が大きいです。

駄目な人は何年経っても駄目ですし、逆に平気だなと思える人はほぼ初対面から大丈夫だったりもします。

この辺をどのようにして判断しているかは、自分でもよく分からないのですが。

そしてちょっとしんどいのは、「我を通す」ことが必要になる場面です。

私は根性がないので、何となく気安く話をできる人に対してさえもなかなか我を通すことはしないのですが、それでも我を通さざるを得ない場面は存在します。

放っておくとどんどん相手の言い分ばかりが通ってしまうので、勝負するべきところは勝負しないとならないんです。

分かってはいるのですが、この「勝負をする」ことにはエネルギーが必要です。

特に自分にとって駄目な人に対して、自分にとって苦手である「我を通す」という勝負をするときには。

結局のところ、このエネルギーの出所はモチベーションになると思うのですが、このモチベーションをきちんと把握して維持する事というのは凄く難しいです。

ちょっとしたきっかけで途端に維持できなくなってしまいます。

それはもう、きれいさっぱり。

多分、気安く話をできる人というのは、この「勝負」のコストが低いんですね。

何故低いのかについては、更に考える余地はあると思いますが。

でも残念ながら、私にとって、これから勝負をしないとならない人達に対するコストはちょっと高めです。

相手は放っておくとどんどん勝負を仕掛けてくるのに。

要するに、自分も含めてみんなワガママなんだよ、ということでした。