微積
何かのことを理解しようとした場合、そのことを「ありのまま」理解できれば、それに越したことはありません。
でも、全てをありのままに理解することは中々に難しいので、ありのままではない方法で理解しようとすることも多いです。
その際、方向性としては大きく二つあって、その事象を構成する要素に注目して、要素ごとに細かく理解を進める方法と、その事象が所属するより大きな単位に目を向けて、全体を俯瞰することで理解を進める方法です。
私がやっている研究は、どちらかというと「微分」に属する物事の考え方をしています。
細かい方向へ細かい方向へと理解を進めていきます。
でも、どちらの方向の物の考え方をしたとしても、それだけでは理解には中々至らないと思います。
「再構成」が必要です。
微分をした場合にはその結果を「積分」することで自分の理解できる次元に話を戻し、積分をした場合には「微分」することで自分の理解できる次元に話を戻すわけです。
私のやっているような「細かい方向」の場合、要素要素で何らかのデータ(小理解)が得られて、それらのデータを統合することで、自分の居る次元での理解に至ろうとしています。
ここで難しいのは、個々の要素によって得られたデータは「事実」であっても、その「事実」を統合して得られた理解が「真実」であるとは限らないことです。
統合に用いるデータを恣意的に選ぶことも可能ですし、そのままでは理解できなかった事柄を分解し、再統合した結果、理解可能であるということは、すでに理解しやすくデフォルメされた別物である、とも言えるかもしれません。
もちろん、それは決して悪いことではないとは思うのですが、その意識を持つことは大切ではないかと思います。
多分、私が「理解した」と思っていることは、「ありのままの真実」を基準にすれば相当に歪な形をしているんだと思います。
しかし、「ありのままの真実」を基準には出来ない場合が多いので、どのように歪なのかを知ることは少し困難です。
「理解した」ことなら基準にできますが、その場合は歪には見えませんし。
現在の私の状況を要素に分けると、「午前4時」「明日は平日」「土曜にはプレゼン」「睡眠時間は欲しい」となり、理解に至るために再統合すると「明日はヤバイ」となります。
この理解は歪な形をしているに決まってます。