どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

キュウリ学

今日、初めて「窮理学」という言葉を知りました。

明治時代に使われていた言葉です。

色々と検索して調べてみたら、今でいう「物理学」を主として指す言葉のようですが、もっと広い意味でscienceを「窮理学」と表すことも多かったようです。

今でいう「科学」ですね。

生理学を「人身窮理学」と言っていたことからも、物理学よりも広い意味で使われていた言葉なんだと思います。

ちなみに科学の「科」は、もともとは「くぼんだ所」という意味みたいです。

孟子の言う「科に盈ちて後進む」は、「水が流れるとき、くぼんだ所があると、まずそこにたまってから先へ流れていく。学問も、一歩一歩順を追って進むべきことをいう」(Yahoo辞書)ということで、「科」は学問全般を指す言葉のようです。

「窮理学」という言葉は面白いですね。

現在の例えば「物理学」であったり「化学」であったり「生物学」であったり、このような言葉は「学」の対象を客観的に表している言葉です。

一方で「窮理学」は、「理(ことわり)を窮める、窮まる」ということなので、理に対する人間の姿勢がより主観的な立場で見えてくる言葉のように感じます。

やっぱり「理を窮(究)める」ことがscienceなんだよなあ、と変に感心してしまいました。

ただ、「窮理学」の弱点としては漢字以外の表記をすると別の言葉に見えて仕方ないという点です。

やっぱり味噌との相性が抜群だと思うんだ。