どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

想定未来

1月7日は事務への博士論文の提出期限だったので、提出しました。
これから「修正」という名目の執筆作業がスタートします。
完成には程遠いので…。
しかし、博士号に一歩近付いたのは事実です。
そして、そんな「博士号取得者」すなわち「博士」の果て、想定内の未来の一つを取り上げている本を読みました。

高学歴ワーキングプア「フリーター生産工場」としての大学院』です。

"高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)" (水月 昭道)

上手に客観視できないだけに、何とも感想の書きづらい本です。
ただ、一つだけ言えることは、この本の「意義」は「問題提起」の一点に集約されるだろう、ということです。
「博士問題」「ポスドク問題」と呼ばれる類いのものを、広く提起した本だと思います。

内容については、個々の事例を並べていくスタイルで書かれた本です。
メインとなるのは、「中堅以下の私立文系で博士号を取得した人々」の事例です。
この点で、一応国立の理系に所属する私とは、意識のズレが生じてしまいます。
従って、この本を「客観視」も出来ないし、かと言って「主観視」も出来ないと言う、中々読みにくい本でした。

分野によって進行のスピードこそ違いますが、確実に「博士」は現在の日本社会の枠組みの中で、余っています。
すでにポストも就職先もない、という状況は起きています。
繰り返しになりますが、この現状を問題提起したことが、この本の意義だと言って間違いないと思います。 「
博士ヤバいよ博士」ということですね。

さ、早いところ博士論文を書き終えないとな。