どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

融解

大学の近くの駐車場に、大きな雪だるまがあります。
彼が現れたのは先週の大雪の日。
誰が作ったかは知りませんが、渾身の一作であることに疑いの余地はありません。
大変立派な雪だるまでした。

先週から今週にかけて、仙台では寒い日が続いています。
例年ならとっくにこの雪だるまは融けて無くなっていただろうと思うんですが、彼は未だにそこにでんと存在しています。
少しずつ、融け落ちてゆきながら。

毎日、私はこの雪だるまを見ています。
昨日は今日よりも雪だるまでしたし、明日は今日よりは雪だるまではなくなっているはずです。
毎日の経過を写真に収めていなかったことを若干後悔しています。
こんなに素敵な雪だるまの融け果てる様を見られるなんて考えてなかったんですよね。

この、少しずつ形を失って果てていく様子を見て、最近まで読んでいた夢野久作の「ドグラ・マグラ」という小説を連想しました。
あまり詳しく書くとこれから読む人にとってイマイチかと思うので必要最小限にしますが、この本の中によく似た描写があるんです。
この本の場合、形を失って果てていくのは雪だるまではなく人間ですが。
人間が形を失っていく様子を絵に描いているんです。
自分で殺した、自分の奥さんの絵です。
日本探偵小説三大奇書に数えられ、この本を読破した者は必ず一度は精神に異常を来す、と称されるだけあって、なかなか不思議な本でした。
興味のある人は是非一読してみて下さい。
青空文庫でも読めますし。

話が逸れました。
目下のところの私の楽しみは、この「雪だるま」はいつまで「雪だるま」なんだろう、ということです。
多分、明日も同じ場所に同じように、でも少しだけ融け落ちた様子で存在しているはずです。
この毎日の変遷を見ることが、とても楽しいです。
出来ることなら、きちんと融けて無くなるまでそこに在って欲しいなあ、と思ってます。

心配なのは、融けてなくなる途中で誰かに壊されてしまうことです。
これじゃあ、見届けられません。
予め「雪だるまを壊さないで下さい」と書いて雪だるまに貼っておいてもいいんですが、壊される頃には「雪だるま」ではなくなっている可能性が高いのが困ったところです。