どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

半袖マン

実は今日、今年はじめての半袖を着ました。
昨日までの私は頑ななまでに長袖を着続けていました。
このブログ内を「半袖」で検索すると分かるように、私は基本的に毎年、あまり半袖を着ずに長袖で過ごすことが多いです。
そして、それに対してあれやこれやの理由をつけていました。

曰く

昨日も今日も非常に暑い一日になっています。
昨日などは今年初めて半袖を着てしまいました。
今日は長袖ですけど。
エアコンが寒いんですよ、半袖だと。
そのくらい暑い一日になっています。

どことなくなんとなく;日陰者
であるとか、

ポツポツの数を数えてみたら、9個ありました。
虫さされだとしたら、こんなにさされて気付かないものなのかなー?という疑問がありますし、湿疹だとしたら、心当たりは全くありません。
やはり半袖で生活していたせいでしょうか。
半袖は危険です。もう着ません。

どことなくなんとなく;虫さされ?
であるとか、

あんまり半袖は着ません。
なぜなら寒いからです。
長袖の日が多いですし、今日ももちろん長袖です。
これは私の体温調節機能がおかしいわけではなく、仙台の気候のせいです。

どことなくなんとなく;長袖マン
であるとか。

翻って、今年、このような理由で半袖を着ないだけの動機が私の中にあっただろうか、と言う疑問が湧いてきます。
今年は電気供給力の減少により、大学もかなりの節電を強いられています。
エアコンを、暑がりの人の体感温度に合わせて、想いのままにわがままに稼働させることは難しくなっているため、例年よりも室内温度は暑くなっています。
また、半袖で生活していてもあれ以来湿疹が出るようなこともありませんでしたし、仙台の気候も昨年、今年と妙にやる気を出してしまっているため、30度を超える日も珍しくありません。
そんな状況の中、私は相変わらず長袖のままでした。
何故、半袖を着なかったのか。

逆に考えて、特に状況が変わったわけではないのに、何故今日は半袖を着たのか。
これらの疑問は表裏一体、私の中に非常に重要な意味付けを持っているような気がしてなりません。
しかし、この疑問に答えられるほど、私の中に何か明確なものがあったとも、思いつきません。
なんとなく長袖を着続けていたのに、なんとなく半袖を着てしまったと。
そして、半袖は快適であったにも関わらず、おそらく明日は長袖を着るだろうなと。
長袖を着た上で、若干の腕まくりをするだろうなと。

私にとっては存外に重要な疑問ですので、これから折に触れて考えていく必要がありそうです。
そしてポンと膝を打つような答えが得られた時、この半袖長袖論争に終止符が打たれた時、初めて心の底から袖の長短を気にしない服選びができるようになる気がするのです。