どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

まとまるくん

10年前には想像もしてませんでしたが、今、私の周りにはMacBook Pro Retinaがあって、MacBook Airがあって、MacBook Proがあって、iPhone4があって、iPad2があります。
そして、それぞれがiCloudDropBoxを通じて、何時でも何処でも、同じ情報にアクセスできるようになっています。
便利。とても便利。
自由度は間違いなく上がっていますが、じゃあ、私自身の考え方や生産性に目を見張るくらいの変化があったかと考えると、iBook G3が一台あっただけの頃と恐らく殆ど変わっていません。
ツールを使いこなしていないのか、使いこなすことに労力を取られているのか、使う必要がないのか。
多分、全ての要素が絡んでいるとは思うのですが、特に自分にとって重要なのは3番目の要素のような気がしています。

どこでも仕事が出来る環境にありますが、どこでも仕事はしません。
考えたことは何でもアウトプットできる状況ですが、アウトプットしません。
何時でも情報にアクセスできますが、いつもはアクセスしません。
機械の処理速度は上がってますが、自分自身の処理速度はあんまり変わってません。

じゃあ、これらの機器は必要なくて全部なくして、iBook G3(まだ動く)一台だけでいいかというと、恐らく今の環境じゃないと今の生産性は維持できません。
このことが、考えるととても不思議です。
使う必要がない気がするにも関わらず、使わないとどうにもなりません。

もともと自分はあんまりアウトプットには興味がなくて、ノートをまとめたり資料をまとめたり情報をまとめたりしたことをアウトプットするのは、殆ど絶望的に興味がありません。
インプットしたことは頭の中に置いておいて、断片として放っておく感じです。
これをまとめた上でアウトプットするのが苦手で、実際はこのことは仕事では必須なのですが、必要に迫られて頑張ってやることもありますが、もうちょっと上手にやれたら楽だろうなあ、とたまに考えます。
私が持っているツールは、私がアウトプットする気になれば非常に便利にその作業をサポートしてくれそうですけど、便利に使いこなすことのできる「私」はもはや想像上の生物と同義です。
ネス湖にいるのは私です。

10年前に今の状況を想像できていなかったのと同様に、きっと10年後は私の想像を超えた何かを便利に使っているんじゃないかなあと思います。
そのときには、是非「頭の中を勝手にスキャンして勝手にまとめて勝手にアウトプットする」ような考えまとまるくんが、想像を超えた形で実用化されていることを願ってやみません。
あ、もちろんスキャン禁止領域の設定は必須ですけど。
そして、きっとそれでも生産性は変わってないんだろうなあ、と想像できてしまいますが、是非これらの想像を超えてて欲しいと願っています。