どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

屋上

私は学生の頃、研究室配属になった学部4年生から博士課程が終わるまでの6年間、屋上に通いつめていました。
私がどうにかこうにか学位を取って、今でも研究者を続けていられるのは、この屋上の存在が大きかったように感じています。
古くから読んでくださっている方はご承知かもしれませんが、このブログは博士課程1年の頃に始めましたので、「屋上」で検索をかけると沢山のエントリがヒットします。
この「屋上」を離れて8年以上経ちますが、未だにプロフィール欄の「屋上でまったりするのが生き甲斐」の文言はそのままにしてあります。
私の中で、間違いなくとても大切な場所の一つです。

いつの頃からか、この「屋上」は立入禁止になりました。
危険だとか不審だとか、そんなつまらない理由です。
つまらない人間が、つまらない理由で、私にとっての大切な場所に鍵をかけてしまいました。
私には鍵を開ける手段がありませんでした。

このブログで「屋上」で検索をかけて出て来る一番新しいエントリが2009年でした。
随分と時間が経ってしまったなあ、このまま「屋上」を永遠に失ってしまうのかなあ、と半ば諦めていました。
この場所、なくなるんですよね。

今日はたぶん、ほぼラストチャンスだったのだろうと思います。
少なくても今週と来週の、僅かな間隙にのみチャンスが存在していたのだろうと思います。
私の中の「屋上」を、私の中に「屋上」としてきちんと留め置くための、最後のチャンス。
エピタフを刻むための、最後の機会。 屋上への扉は開いていました。
私のことを迎え入れてくれるように。

定点の木

私は屋上から見るこの木が好きで、何度も何度も写真を撮ってました。
その写真だけをまとめたエントリもあります。
どことなくなんとなく:定点観測
相変わらず定点的で、すっと私の中の「屋上」と現在の屋上を繋いでくれました。
この場所は、間違いなく私にとっての「屋上」です。
お陰でこの場所に対して、懐かしさではなく極々自然に私が当たり前にいられる場所であると言う感覚を持つことが出来ました。
「定点」なので。

もう一度「屋上」に来ることで、なんとなく私にとっての「屋上」をきちんと「屋上」として私の一部にできたように感じています。
最後にどうしたら良いか分からなくてどことなく所在なげにしていた「屋上」が、きちんと私の中に居場所を見つけたような感じです。
私の「屋上」が迷子にならなくて本当に良かったなあ、と言う感覚です。

「屋上」に来たらもちろんやることは一つ。
缶コーヒーです。
いつものように屋上からの景色を眺めながら缶コーヒーを飲みました。

屋上で缶コーヒー

屋上で缶コーヒー。
かつてのいつも通り。
私の中の「屋上」にとって、永遠の存在理由。