どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

成人式

今日は成人の日でした。

新成人の人達、おめでとうございます。

私の家は仙台市の成人式会場の近くなので、沢山の新成人らしき人達が歩いていました。

もしかしたら新成人じゃないのに気分だけ味わうために混ざっている人が居るかもしれませんが、それは別の話。

私も5年程前に成人式に出席しましたが、大した出来事はありませんでした。

人が多すぎて友達と合流できなく、独りでショボンと式典に参加して面倒くさくなって家に帰ってまったりしてたら高校の時の友人達から飲んでいるという連絡を貰ったものの出かけるのが面倒くさくて行かなかったような記憶があります。

そんな成人になった最初の日でした。

1948年に施行された祝日法によると、「成人の日」は「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」趣旨であるとあります。

つまり、「成人」とは「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年」であると言えます。

上の定義に照らし合わせると、今日「成人式」に参加した20歳の人達のうち、一体どれだけの人が「成人」なんでしょうね。

少なくても私は、成人式の日の行動を顧みるに決して「成人」では無かったな、と思います。

ただの20歳でした。

あれから5年が経った今、自分は「成人」出来たんだろうか?

「おとなになった自覚」、当時よりは自分のやらなきゃならないことは見えてるかな、とは思います。

でもまだまだ足りない。

「みずから生き抜こうとする」、今はまだその準備段階です。

学生である以上、「みずから生きる」とはとても言えません。

贔屓目に見ても「四分の一成人」くらいでした。

今25歳ですから、このペースで行くと成人できるのは100歳くらいです。

それまで生きてるといいんですけど。