美しさの本質
以前、学会でエジンバラ大学の先生に誉められたことがあるんです。
「Beautiful Data!」と。
彼は 「Good」でも「Nice」でも「Excellent」でも無く、「Beautiful」と言う言葉を使いました。
とても嬉しかったんですが、「美しさ」ってのは何だろうと、ちょっと疑問に思いました。
そもそも、どんなものに「美しさ」を感じるかを考えてみると、例えば自然の風景とか、壮麗な建造物だとか、水たまりに映る青空だとか、綺麗なお姉さんだとかに「美しさ」を感じます。
これらは「見た目」、つまり表面のテクスチャが「美しい」と感じるものです。
しかし例えば、一分の隙もない数学の証明とか、今回の私の例のように研究の結果とか、ぷよぷよの18連鎖とかにも「美しさ」を感じます。
これらは、その事柄が内包する「論理性」、矛盾無く首尾一貫している様子を「美しく」感じているんだと思います。
また、汗まみれになって働くおじさんとか、もう負けると分かっているにも関わらず全力でプレイする高校球児だとか、そういうものにも「美」を見出します。
自分の考えやスタイルを貫き通そうとする姿勢に感銘を受けるのだと思います。
つまり、「美しさ」というのは「矛盾無く整合性の取れている様子」を表す言葉なのではないでしょうか。
「見た目」に整合性が取れているもの、「論理性」に整合性が取れているもの、「生き様」に整合性が取れているものが、「美しい」のではないかと。
特に3番目、「生き様」が美しいのには憧れる。
自分の生き方に関しても、きちんと自分の中で整合性を取れさえすれば、「美しい」ものになるんだろうか。
今まで25年生きてきて、これから50年生きるとして、汚い手段を全く取らずに生きることは難しい。
すでに幾つか汚い手段で乗り切った心当たりもありますし。
それでも、きちんと整合性を取って、「美しく汚れる」ことは可能なんだろうか。
きっと難しい。
取りあえず今出来ることをやろうかな、と思います。
研究室の私の事務机の上、全く整合性が取れていないので片付けよう。