生と死の境界
私は普段、通学に地下鉄を利用しています。
それで今日、家に帰るために駅に行ったところ、どうにも慌ただしい。
警察と消防が私の横を走り抜けていきました。
時間は金曜日も終わろうかと言う頃。
私の頭の中には、この状況から導きだされる想像は一つだけでした。
駅の階段を下り、地下鉄のホームにたどり着いたとき、そこには私の想像通りの光景がありました。
電車は上りも下りもストップ。
警察と消防と電車内に留められている乗客たちと。
そしてシートの被せられたシルエットと、「処置」というよりも「処理」に近い印象を受ける対応。
何故か「救急」の人が居ない事実とシートからはみ出ている動かない革靴。
テレビ局のカメラ。電話をかけ続ける乗客。
そんな想像通りの状況。
いつまでもここにいても仕方ないと判断したので、学校に戻りました。
ちなみに今は帰宅して家に居ます。
正直な話、全く縁も所縁もない人がどうなったところで、興味はありません。
こんなことでいちいち心を痛めていたら、私は四六時中心を痛めていないとならなくなるからです。
ただ、今回強く感じたのは、「死ぬ」ってのは簡単なんだな、ということです。
生き続けることの方がずっと難しい。
「いつでも死ねる」と思えば、逆に「死にたい」なんて思わなくなるのではないだろうか。
とりあえず、「今は生きている」という幸運を理解しておこうと思いました。
その気になれば、何処にだって行けるし何だってやれる、という幸運。
この幸運を自ら放棄するような真似だけはしないようにしたいです。
追記。
今日(土曜日)の新聞報道によると、事故に巻き込まれた人は無事だったみたいです。
勘違いでした。
こういう勘違いなら大歓迎ですけどね。