どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

学級委員

今日ふと「学級委員」という言葉が気になりました。

一体どういう傾向を持つ人が「学級委員」として選ばれるのかな、と。

自分の経験に照らし合わせて「こういう人が選ばれてたなあ」と実感できれば良いのですが、自分を客観視するのは難しいのです。

しかも10年以上も昔の自分なら尚更です。

私は、学級委員制度の始まった小学3年生から義務教育の終わる中学3年生まで7年連続で学級委員をやっていたんですよ。

その間もちろんクラス替えもありましたし、中学への進学もありましたし、転校もしたんですが。

学級委員を知ることは、昔の私がどのように考えられていたかを知る手がかりになるような気がします。

まあ、今となってはどうでも良いと言えばどうでも良いんですが。

どうでも良いと言えばどうでも良いので、ソースはwikipediaのみです。

ちょっと長いですが引用です。

学級委員には、学級をまとめることができる指導者格の人がなることが多いといわれている。しかし、どのような人材が学級委員として求められるかは、学級の性質によって異なるものであり、指導者格の人でなくても、学級委員として選出されることはある。現代では、目立つのが好きな人、いわゆる優等生、自分本位では立候補しない人、部の代表者(部長、主将)などさまざまな人が学級委員を務めている。これについては、立候補や選挙をめぐる矛盾によって不適切な人材が選出されているという意見と臨機応変に人材を割り当てているに過ぎないという意見がある。いずれにせよ、学級委員には、学級全体の奉仕者として活動することで、各学級の発展に何らかの形で貢献することが求められている。特に、学級活動の時間(学級会)などでなるべく合意に達することができるような議事進行を行うことが求められ、学級を構成する人全員から信頼されることに意欲的であるのが望ましいといわれる。
私は自分から立候補したことはないですし、目立つのも好きじゃないですし、指導者格ではなかったです。

「優等生」と言えば優等生だったのかもしれませんけど。

でも行動はアホでした。

学級委員は、学級内において、リーダー的な立場となる。また、学級内での問題の責任も他の生徒より重くとられるため、時により学級の生徒から厳しく批判を浴びることもある。
批判されたことないです。

リーダーにもなったことないです。

何故私が選ばれ続けたのか、謎は深まってきました。

最近はいじめや冷やかしの手段としてクラスで浮いている生徒に押し付けられているケースも多い。
これか!

自覚はなかったけど。

最近でもないけど。

実際のところ小学校の頃のクラスメイトは気のいい奴らが多かったですし、こういう動機で選ぶとも思えないんですけどね。

するとやはり昔の私には何か見えないカリスマ性のようなものがあったとしか思えないです。

ちなみにそのカリスマ性は今は残ってません。