どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

因果関係2

昨日のエントリでは偉そうに書いてしまいましたが、因果関係を明らかにすることはとても難しい場合が多いです。

原因から結果を推察したり、逆に結果から原因を推察したりすることは、さらに難しいように思います。

例えば、私が身を置く生物学の分野では、このような考え方をします。

特定の遺伝子の機能を調べたい場合、そのアプローチの方法には大きく2つあります。

一つはその遺伝子の機能を増強すること。

もう一つはその遺伝子の機能を喪失させること。

「gain of function」「loss of function」と呼んでいます。

遺伝子の機能を増強させたとき、例えば量を増やしたときにどのようなことが起きるかを観察すれば、その遺伝子の機能がある程度予測がつきます。

ただし「量を増やしたこと」による影響もその観察結果には含まれるので、その見極めは難しいです。

逆に遺伝子を喪失させたときにどのようなことが起きるかを観察することでも、その遺伝子の機能の予測は出来ます。

ここで難しいのは「機能を増強させた(喪失させた)」ことが「原因」で、ある現象(表現型)が「結果」として顕れるのは間違いないのですが、その「結果」から予測されるその「遺伝子の機能」は正しいかどうかは分からないということです。

逆裏対偶の問題もはらんでいると思います。

ちょっと分かりやすくするために、「遺伝子」ではなくて「鼻」を無くした場合を考えます。

クリリンです。

「鼻」を無くした場合、「匂いを嗅ぐこと」ができません。

すると「鼻」は「匂いを嗅ぐため」に必要であることが分かります。

「鼻」を無くした場合、「鼻で息をすること」もできません。

しかし「息をすること」は「口」でも可能なため、見た目には「鼻を無くした」影響はないように見えます。

すると「鼻」は「息をすること」には重要ではないと判断される可能性があります。

また、「鼻」を無くした場合、「眼鏡をかけること」もできません。

すると「鼻」は「眼鏡をかけるため」には必須です。

仮に「匂いを嗅ぐ」「息をする」よりも「眼鏡をかける」ことが先に発見された場合、「鼻は眼鏡をかけるための器官だ」ということになってしまいます。

これは正確ではありません。

「鼻」ならば正確ではないと判断することは容易ですが、機能が未知の何かの遺伝子の場合にはその判断は難しいものになります。

多分、そういう例はあると思います。

私もある遺伝子を喪失させたマウスの解析をやっています。

自分の見つけた遺伝子機能が実は「眼鏡をかけること」なんじゃないかと思うとかなり怖いです。

「眼鏡をかけること」を見つけたばっかりに大変な目にあうこともあるとしたら、ホント因果な商売だなー、と。