夕暮れの既視感
屋上でボーッと夕暮れを眺めていました。
夕暮れを見つめていると、何となく物寂しい感覚に襲われるのですが、それは何故だろうとちょっとの間考えてみたんです。
出た結論は、「夕暮れだから」でした。
夕暮れを見ると、小学生の頃を思い出します。
きっと人生で一番「夕暮れ」が意味を持っていた時期が、その頃だったのかな、と。
友達と外で遊んでいて、力一杯遊んで、日の暮れるまで遊んで、ちょうど夕暮れ時は「その日の遊びを終えないとならない」時間だったんです。
もっと遊びたい、もっと友達と一緒にいたい、でも今日はもうお終い。
「また明日」
でも、当然ですけど、夕暮れまで遊べる「明日」は永遠に続くわけでは無かったんですよね。
小学生の頃は、一日の終わりが「夕暮れ」でした。
夕暮れがきたら「また明日」。
その後の時間はおまけみたいなものです。
それがいつの頃からか、「夕暮れ」がそれ以上の意味を持たなくなりました。
ただの夕方に過ぎなくなりました。
活動時間がもっと夜側に延長して、活動空間が内側へと変化して。
それでも夕暮れ時の空を見ると、何となく物寂しい気持ちになります。
それは小学生の頃感じた「寂しさ」とは違って、取り返しのつかない時間に対する郷愁に近い気持ちなのかもしれません。
あの頃の「明日」は、もう戻れない「過去」なのだな、と。
夕暮れを見るとこのようなことを考えて、少しキュンキュンしてしまいます。
そして最近やたらとキュンキュンするなあ、と思っていたら、原因はこれでした。
デスクトップが24時間夕暮れっぱなし。