どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

研究と教育

大学は研究機関であると同時に、教育機関です。
そして、同様に私は研究者であると同時に、教員です。
学生の指導も大きな業務の一つです。

「指導」と言ってもその内容は多岐にわたります。
実験、研究の相談から学生生活、研究室生活でのケア、トラブルシューティング、人と人との間の介在、緩衝。
研究室に限らず、どの社会でも同様だと思うのですが、「人の集団」である以上、当然のように問題は起きます。
小さなものから大きなものまで。
学生同士のコミュニケーションに起因する問題も多いため、両方の言い分を聞いた上で両者のコミュニケーションに介在し、少しでも円滑に事が運ぶようにしたりもしています。
お互いの言い分を聞いた上で、お互いにとっての妥協点を模索したり。

難しいのは、「妥協点」というのはお互いに少しずつ「我慢を強いる」ことだということです。
でもこれは「社会」というものの性質上、ある意味どうしようもないものだと思っていました。
また、両者の言い分を聞いた上で、一方が明らかに間違っている(と私が判断する)場合も当然あって、その場合は間違っている(と私が判断した)方に、「どうしてそれが間違っているか」と言うことを説明、説得をしています。
もちろん反論はあって然るべきです。

「教員」としての仕事は、正直とても心を砕きます。
まだまだ私に経験が足りないのと、学生とも歳もそんなに離れてないので、強くは言いにくいこともあったりと。
私よりも年上の学生もいますしね。
このようなことは社会に出れば当たり前のことかな、とも思いますが、「学生」って結構な特権階級なんですよ。

具体的には書きにくいんですが、現在、研究室では大きなトラブルを抱えています。
そのトラブルの中心にいる人には、私の「指導」そのものについて大きな不満を持たれている状態ですので、とても難しい状況です。
これからどうなることやら、と事態を静観することも許されない状況ですので、また週明けからトラブルシューティングに追われそうです。
このトラブルが最善の結末を迎えたとしても、以前と同じというわけにはいかないだろうな、と、そんなふうに思ってます。