どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

最近の自分にとっての研究の話

なんとなく忙しくて、なんとなく困ってます。
今週は研究室に連日12~14時間はいましたし、土曜日曜も行く予定です。
その割に自分の研究はさっぱり進んでなくて、急に別のことに時間を取られたりで何だかなあ、と言う気持ちの日々です。
新年度の最初のひと月なので、仕方ない面はあるにしても、学生の頃のように自由が利かないのがなんとなくもどかしいです。
私の場合、就職先も研究室だったので、周りの学生の自由さを見ていると、分かってはいるのですが羨ましくもあり、小憎らしくもあります。
きっと私が学生の頃も、周りの「自由の利かない人たち」は同じ気持ちだったのかな、と。
自由である人がいるためには、自由でない人が必要であると言う、当たり前のことを実感しています。
「自由でない」ことの対価は、身分や権限や給料と言うことで頂いてますし。
そう言えば以前、「助手から助教になったけど給料一緒っぽい」と書いた気がしますが4月分の給与明細を3月分の給与明細と比べてみたら、基本給が少し上がってました。
なんと!
月500円くらい!!
まあ、正直、給料云々よりも肩書きの変化によるメリットの方が大きいので、今のところは給料が頂けるだけで御の字です。
話がずれました。

自由が利かない状況かにあっても、自分の研究はどうにかこうにか進めないとなりません。
にも関わらずそれを出来ていないことが、私自身に対する一番大きな不満点です。
上手にやろうと思えばやれそうなのに、やれてないように感じます。
私が研究をしている分野(広く言えば生命科学)は日進月歩で、先日も一つ、頭の中にアイディアだけはあったことがバーンと大きな論文で発表されてました。
この発表に関しては私が行なってた場合、3年でも足りなかったと思うので、「先を越された!」とかそのような意識は微塵もないのですが、最も問題であると意識することは、「私の頭の中での3年先」がすでに現実としてそこに横たわっていることです。
このような発表は遅かれ早かれ必ずあると思ってましたが、それでも私が考えていたよりも随分と早かったです。
今、現実に私が用意している研究計画も、実は既に時代遅れ、時期を逸してしまっているのかもしれません。
修正して「3年先」を「現在」に持ってくる計画を立てないとならなそうです。

研究は進めようと思わないと進まないので、時計の針は自分でグルグルとまわす必要があるので、最近はすっかりと止まっているので、どうにか動かしたいと考えています。
時計の針が動きさえすれば、動いても進むとは限らないのが研究だったりもするのですが、動きさえすれば今よりは色々と「進む」可能性が生まれます。

そう言えば「時計の針」で思い出しましたが、時計が欲しいです。
以前こんなことも書きましたが、まだ時計を買ってないんですよね。
どことなくなんとなく;物欲の話
時計の針を眺めていたら、進んでないのに進んだ気持ちになれるかもしれません。

随分と長くなった割に、さっぱり脈絡のないエントリになってしまいました。
当初は「給料上がらないと思ってたけど上がったwww500円wwwwwwwww」とだけ書くつもりだったのにおかしいな。