どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

大きな地震の日のこと

もう10日ほど前になりますが、大きな地震がありました。
未だ被害の全貌が見えず、数字だけがどんどんと拡大しています。
私は、この地震仙台市内で経験しました。
不幸中の幸いに、私の家族、親戚、友人知人に犠牲者は居なさそうです。
知人の知人、レベルになると、もちろん居ます。

何から書いたらいいのか、何を書いたらいいのか、そもそも書くべきなのか、色々と頭の中がまとまらず、報告が遅れてしまって申し訳ありません。
「日常」はどこかへ行ってしまい、「非日常」が代わりにその場所にいます。

私は、助教という立場で、大学に所属しています。
その日、その時間も、大学の研究室に居ました。
耐震工事など為されていない古い建物の、7階に私の研究室はあります。

大きな地震

学生やスタッフは、とにかくびっくりしていました。
自分もびっくりしていましたが、私はとにかく落ち着くようにと、安全を確認することを大声で指示して、自分は自分の本棚の上にあったサボテンを守っていました(結局、ほとんどを守れませんでした。幸いサボテン自身の生命力が強かったおかげで後日回収出来ましたけど)
揺れが収まった後、とりあえず近くにいた人間に怪我などがないことを確認できましたので、再度落ち着くようにと声を出し、自分は研究室の被害状況を確認するために動きました。

Jishin

物の転倒、停電、水道管の破裂、水漏れ、防火扉の転倒など、酷い有様で、にわかに対処できるような状況ではありませんでした。
余震がいつ来るかもしれない状況でしたので、貴重品などを持って屋外に退避することに決めました。
外から見ていると、余震のたびに建物が大きく揺れているのがよく見えました。

その日はとても寒くて、ちょうどその頃、激しい雪が降ってきました。
一度その場を解散にしたものの、私は状況把握のために大学に残りました。
仙台市内(というか、東北全域?)が停電だったために、街中の信号機も止まり、大渋滞が起こっていました。
帰宅を試みた人たちは、相当大変だったと思います。
自分の職場は大学の附属病院のすぐ近くであるため、緊急車両の往来の多い場所なのですが、渋滞で動けなくなっている緊急車両もありました。
この時点で私は当日中の帰宅をほぼ諦めました。

同僚のポスドクの人と、保育園に預けていた彼女の子供と合流し、彼女の車の中でテレビを見て、そこで初めて、今回の地震の規模と、被害の一報を知りました。
正直、現実感はありませんでした。
近くのコンビニが停電の中、手作業で計算して営業していましたので、差し当たっての食料を買いました。
並んでいたので、買うだけでも一時間近くかかったと思います。(正確には同僚の人が並んで買って、自分はその間、子供を抱っこしていただけなのですが)

暗くなってきて、帰宅も諦めたので、とりあえず3人で避難所に向かいました。
途中、研究室の学生と合流し、避難所へ。
地震当日でしたので避難所にはまだ毛布もなく、食料もなく、停電していて、ただ、ストーブだけはありました。
各自、車や家から食料および毛布を持ってきて(全然足りませんでしたが)、その日をしのぐことになりました。
食料はほとんどがお菓子、毛布は6人に対して3枚。
体育館だったので、板が冷たいんです。
良かったのは水道が生きていたので、トイレの心配だけは必要なかったこと。

誰かが持ってきてくれていたラジオのお陰で、情報だけは入ってきていました。
ラジオは、にわかには信じられないような情報を伝えていました。
携帯は全く通じず、その日の夜中に、どうにか家族に連絡がつきました。
WillcomSoftbankも全然ダメで、学生のdocomoの携帯でようやく通じました。
家族には全然連絡ができないのに、Twitterではずっと前に無事を知らせられていた状況も、なにか変だなあ、と思いつつ。

避難所の床に身を横たえながら、結局ほとんど一睡もできずに、ラジオを聞き続けて夜が明けました。
避難所にいた学生のことも気になったのですが、昼前に、帰宅することにしました。
普段なら30分の道も、車で2時間かかりました。
信号も点いていない場所が多く、空気を読んでの運転です。
ちなみに、この状態で夜も運転しましたが、真っ暗でものすごく怖いです。
人が見えません。

自宅は電気、ガス、水道、全てがダメでした。
しかし、物が倒れたりとか、そのような被害は一切無く、布団で寝られるという誘惑には勝てず、避難所には戻りませんでした。
研究室の学生の中には3日ほど避難所で過ごした人も居たようです。

これが、地震当日に私が経験したことです。
その後の一週間に経験したことについては、エントリを改めたいと思います。

最後になりましたが、今回の地震とその後の津波の犠牲になった方々に対し、心から哀悼の意を表したいと思います。