どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

ロボットと性別と藤子F先生

昨年末に人工知能学会の学会誌の表紙を巡って、ちょっとした騒動がありました。
詳細は下記のリンクを参考にしてもらうとして、私自身には特に問題になるようには思えない内容だったこともあり、この問題はとてもむずかしいと思いました。
人工知能学会誌、表紙が”萌え”化 「正直、学会誌にふさわしいか悩んだ」 堅いイメージをチェンジ(2013年12月25日)
人工知能学会の表紙は女性蔑視?(2013年12月26日、発火)
人工知能学会の表紙を通じて、批判と攻撃との差をみる(2013年12月28日、私にとって納得できる内容)
「人工知能」の表紙に対する意見や議論に関して(2014年1月9日、人工知能学会の公式見解)
私はこの問題について直接にはこれ以上言及することはないのですが、「ロボット(アンドロイドやガイノイドを含む)」の性別問題は、非常に興味深いテーマだと思いました。
本来ロボットには「性別」はありませんし、もしロボットが「ロボット三原則」に従うのであれば、それは必ず人間に対して隷属的にならざるをえないためです。
ロボットに「性別」があるならば、それはロボットにおけるジェンダー問題が発生しうることを、今回の騒動は示していると思います。

ジェンダーロールが何か、と言うと、下記に引用します。

性役割(せいやくわり、gender role)とは、その性別に、社会的に期待されている役割のことである。 例えば、「男だから、めそめそしない」「女だから、おしとやかにする」などの行動規範に従って行動するとき、その人物は性役割を演じているとされる。この場合、特定の性に本人の好むと好まざるとを問わず、一定の役割を期待すると共に、その役割に応ずる準備や能力、資質、性向がない場合、不要なストレス、劣等感を当事者に持たせ、社会的に自分が不完全であり、不適応であるとの疎外感や差別感を持たせることになってしまう。これは、女性に賃金労働上の成功のチャンスを与えないばかりか、男性にマッチョイズム(男性至上主義)のシンボルとして適合しない場合、その権威への落第者といった自己評価の低下をもたらすなど、さまざまな議論を投げかけるものでもある。(Wikipediaより引用)

今回の騒動の場合、隷属的状態の上で「掃除(家事)」を「女性型」のロボットが行っていることが問題になりました。

ところで、日本で最も有名なロボットの一つに「ドラえもん」があります。
ドラえもんは、オス型の量産型「子守ロボット」なんです。
今でこそ「イクメン」が市民権を得ましたが、ドラえもんが書かれた当時(1970年代~90年代)は必ずしもそこまで一般的ではありませんでした。
これって、今回の騒動との対比で考えると、とても面白いなあ、と思いました。
この件について、ちょっとTwitterで書きました。

このテーマで少し藤子F先生の描かれた作品を参照して調べてみると面白そうだと思いましたが、今回のエントリではそこまでは行っていません。

うちには藤子・F・不二雄先生の全集がもちろん全巻ありますので、検証は可能です。
可能ですが、ちょっとかなり相当とても大変そう面白そうですね。