どれほど変わるのやら
一部引用です。
“徒弟制”一掃、文科省が大学院を抜本改革へ大学院教育の充実に向け、文部科学省は今年度から、大学院生や若手研究者が教授の労働力とみなされる“徒弟制度”の一掃を目指すなど、抜本的な改革に乗り出すことを決めた。
近年、大学院に進む学生が増える一方、海外や財界からは「教育水準が低い」との批判が出ており、日本の国際競争力を高めるためにも、大学院教育の質向上が不可欠と判断した。文科省は今後5年間かけて、大学院による教育課程や教員組織の見直しを支援するなど、教育基盤の整備を進める。
日本の大学院はこれまで教育より研究を重視する傾向が強く、研究室では大学院生や若手研究者が教授の手伝いを通じ、自然に知識を身につけるという「徒弟修業」の考え方が根強く残っていた。また、講座制は大学院内の教育研究の責任体制を明確にすることなどを目的に導入されていたが、教授が研究室の人事を独占的に行うことなどへの批判も強かった。このため、院生らからは「教育内容が教授の能力に左右されすぎる」「教授の労働力として使われ、雑務に忙殺されている」などの不満の声が上がっていた。
事象の地平線さんの指摘するように、いまどき講座制のピラミッドを維持できているのは、旧帝大と一部私立マンモス校だけなのであろうことはその通りだと思います。
しかし、一応旧帝大で大学院生をする身としては、この結果どう変わるのか、あるいは変わらないのかついては興味があります。
(理系の)大学院生の現状と言うのは、まさに労働力以外の何者でもなく、無償で一日の半分以上の時間を大学(というか研究)に費やしています。
大学院では「教育」をされていないので、教育水準が低いというか、水準そのものが無いんじゃないかというような状態です。
私の専攻では博士課程の3年間で取る単位(博士論文を除く)が4単位しかないことからも明らかです。
しかもうちの大学のうちの専攻では、次年度からはこの4単位すら無くなるそうです。
研究室運営は教授次第であることが多く、熱心に教育をする教授も居ますが、放っておいて勝手に育った学生を酷使するという教授も居るように感じます。
学生の側からすると、テーマだけ貰って放置されているんですから、自分でどうにか勉強して自分でどうにか結果を出して、論文を書かざるを得ません。
じゃないと学位が貰えないんですから。
修士なら適当にやってどうにかこうにか学位を貰って就職する人も結構居ますが…。
博士課程まで行くと、大体下の人間の世話をすることになるので、「徒弟制」といっても教授 - 学生間ではなく、学生 - 学生間での関係になります。
研究室を巨大恐竜に例えると、教授という「脳」まで情報を伝えている暇があったら数人の学生で構成する「神経球」で脊髄反射的に末梢の情報を処理しないと追いつかなくなって、研究室が回らなくなるといった感じでしょうか。
学生には教授を選ぶ権利があるので、良い教授のところに行けばいいじゃないかと言う話もありますし、実際その通りなのですが、「教授の能力や指導方針」と「自分のやりたい研究」のどちらを優先するかは非常に難しい問題でして。
このような現状であるところの大学院生の待遇、教育が少しでも変わるんでしょうか。
今のままで制度だけ変えても、毎日講義なんて受けている余裕はないですよ。