どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

雪の日

昨日は今シーズンで一番くらいの雪が降りました。
雪の日の空気は何故か少し静寂で、少し綺麗です。
雪は空気中のチリを核に形成し成長しますが、恐らく「音」も核にするんだと思います。

雪の日に口から吐かれた言葉は、音を立てずに雪となり、景色と言葉を白くしてくれます。
言いたいこと、言えないこと、言いたくないこと、言うべきでないこと、良い言葉、悪い言葉、全部白に染め上げて、雪になって綺麗なものに変わってくれるのなら、雪景色となって消えてくれるのなら、どんなに素晴らしいものだろうかと感じます。
一方で、雪の日に胸いっぱい吸った空気は、心の中のチリや言葉を捕まえて、雪として降らせてくれるのではないかと期待します。
それで少しでも自分の心が綺麗になるのではないかと切望します。

雪の日に音無き雪を吐き出し、形無き雪を吸い込むことは、自分の汚さを雪いてくれるような気にさせてくれます。
雪片のひとひらひとひらが、綺麗にされた言葉の残滓であると考えると、雪の日の空気が少し静寂で、少し綺麗なことは、自分を形作る世界の静謐さの顕れであると錯覚しそうになります。
本当にそうだとしたら、凄く良いなあと思うのですが。

次に雪が降ったときは、少し外を歩こうと思います。
雪を吐き出して、雪を吸い込むために。
あまりやりすぎると汚い私全体を核に雪だるまが出来てしまうので、その点だけ注意しないと。