どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

雪の日

昨日は今シーズンで一番くらいの雪が降りました。
雪の日の空気は何故か少し静寂で、少し綺麗です。
雪は空気中のチリを核に形成し成長しますが、恐らく「音」も核にするんだと思います。

雪の日に口から吐かれた言葉は、音を立てずに雪となり、景色と言葉を白くしてくれます。
言いたいこと、言えないこと、言いたくないこと、言うべきでないこと、良い言葉、悪い言葉、全部白に染め上げて、雪になって綺麗なものに変わってくれるのなら、雪景色となって消えてくれるのなら、どんなに素晴らしいものだろうかと感じます。
一方で、雪の日に胸いっぱい吸った空気は、心の中のチリや言葉を捕まえて、雪として降らせてくれるのではないかと期待します。
それで少しでも自分の心が綺麗になるのではないかと切望します。

雪の日に音無き雪を吐き出し、形無き雪を吸い込むことは、自分の汚さを雪いてくれるような気にさせてくれます。
雪片のひとひらひとひらが、綺麗にされた言葉の残滓であると考えると、雪の日の空気が少し静寂で、少し綺麗なことは、自分を形作る世界の静謐さの顕れであると錯覚しそうになります。
本当にそうだとしたら、凄く良いなあと思うのですが。

次に雪が降ったときは、少し外を歩こうと思います。
雪を吐き出して、雪を吸い込むために。
あまりやりすぎると汚い私全体を核に雪だるまが出来てしまうので、その点だけ注意しないと。

体調が下降気味

ここ数週間から1ヶ月くらい、ちょっと体調を崩し気味です。
具体的に何処が悪いというわけではないのですが、全体的にちょっとずつ不具合が生じている感じ。
ギクシャク感。
一つずつ書いてみます。

アテロームの手術をしました

数年前(5年位?)からアテロームらしきものが右肩のところにできていて、少しずつすくすくと育っていました。
ああ、順調に育っているなあ、どうしたもんかなあ、とずっと思案と言う名の放置を続けていたのですが、最近はちょっと看過できないくらいに大きくなってしまったのと、先日韓国に行った時にかなり痛んだこともあり、ようやく重い腰をあげて病院に行きました。
病院嫌い。

ちなみに、アテロームとは?と言うことで、Wikipediaより引用します。

粉瘤腫(ふんりゅうしゅ、 atheroma (アテローマ))とは、新陳代謝によって表皮から剥がれ落ちる垢などの老廃物が、皮膚内部(真皮)に溜まることによってできる良性の嚢胞性病変の総称(-omaという接尾語をもつが新生物とは考えられていない)。表皮嚢胞(epidermal cyst)あるいは類表皮嚢胞(epidermoid cyst)とも呼ばれる。

あれ?アテローマなのかな?
とにかく良性のおできです。

これで、手術をして取ることにしたのですが、それに先立って2週間ほど抗生剤を飲み続けました。
今思い返すとこの頃からなんとなくぼんやりとした気怠さを感じる日々が始まったように感じます。

無事に手術は終わり、直径3センチほどのアテロームが取れました。
傷口は長さ5~6センチ位で、8針ほどもっこりとした感じに縫合されてます。 先日抜糸をしました。
まだたまに痛いです。
ちなみに、手術をしてくれたのがまだ若い医師で、先輩の医師の指導と助言で切ってました。
「こうですか?」
「いや、それはこっちから切ったほうがいいよ」
「ああ、そこちょっと切りにくそうだね」
「もっと切って」
「チョキチョキチョキチョキ」
「(結構ザクザク切ってるなー)」
なんだか微笑ましい感じで楽しかったです。
切られているのは私の身体ですが。 段々ともっと切って欲しい気持ちになってきたから不思議です。

だるだる

なんとなく、毎日だるだると調子の悪い日が続いています。
頭が痛い日もあれば、お腹の痛い日もあり、怠くて仕方ない日もあれば、眠れない日もあり、どこも変でないのに全体的にしっくり来ない日もあるような毎日です。
なんとなく、うすぼんやりとした、体調不良。
どう対処したもんかなー、と結構困っているのですが、なんとなく怠さに身を任せてしまっている状態です。
食べることと、寝ることは意識しているのですが。
各所に迷惑をかけ始めているので、はやくどうにかしたいと思ってます。

元気溌溂

はやく万全の状態になって、八面六臂の大活躍をしたいですね。
だるだるの状態と見分けがつかなかったらどうしよう。

学習のペンギン・ハイウェイ

森見登美彦氏の著作の一つである「ペンギン・ハイウェイ」を読みました。
すごく面白かったです。

B00AR76UAU ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)
森見 登美彦
KADOKAWA / 角川書店 2012-12-25

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あらすじについては書きすぎるとネタバレになってしまいますので、著者ご本人のものを引用します。

ペンギン・ハイウェイ』は、わかりやすくいえば、郊外住宅地を舞台にして未知との遭遇を描こうとした小説です。スタニスワフ・レムソラリス』がたいへん好きなので、あの小説が美しく構築していたように、人間が理解できる領域と、人間に理解できない領域の境界線を描いてみようと思いました。郊外に生きる少年が全力を尽くして世界の果てに到達しようとする物語です。自分が幼かった頃に考えていた根源的な疑問や、欲望や夢を一つ残らず詰め込みました。(森見登美彦

森見登美彦さんがはてなを訪問!新作『ペンギン・ハイウェイ』の紹介も より引用。

この話は、冒険譚であり成長譚でありSFでありほのかな恋愛話でもあるので、どの切り口からも感想が書けてしまう感じなのですが、独特だと感じたのは「研究の指南書」としての側面も持っていることです。
主人公である小学4年生のアオヤマ君は、とても研究熱心・勉強熱心で、彼が日々疑問に思ったことをノートに書き留め、調査し、仮説を立て、そして実行していく様はまさに研究者のそれであり、彼は将来とても良い研究者になるだろうなあ、と期待せずにはいられませんでした。
特に冒頭からの引用で、

他人に負けるのは恥ずかしいことではないが、昨日の自分に負けるのは恥ずかしいことだ。一日一日、ぼくは世界について学んで、昨日の自分よりもえらくなる。たとえばぼくが大人になるまでは、まだ長い時間がかかる。今日計算してみたら、ぼくが二十歳になるまで、三千と八百八十八日かかることがわかった。そうするとぼくは三千と八百八十八日分えらくなるわけだ。

と言うのは、本当に本当に大切なことで、でも忘れがちなことで、自分自身の中に刻みつけておく必要性があると感じました。

彼が進めていた幾つもの研究は、物語の中で一つの大きな研究に収束するのですが、この本の中では解決には至りません。
この研究は彼の生涯に渡る研究テーマになるはずのものですので、そう簡単には解決しませんし、しかし彼なら必ず解決させるだろうと確信できる、そんな内容でした。
ヒントは沢山散りばめられていたように感じます。
友人のウチダ君の語る多世界解釈であったり、ブラックホール・ホワイトホールおよび多世界の暗喩としての「海」であったり、事象の地平線におけるホーキング放射を連想させる「ペンギン」の役割だったり。
彼は必ず「昨日の自分よりえらくなって」、彼の研究を完成させて、そして彼の願いを叶える日がくるのであろうなあ、だからこれは希望に満ちたエンディングなんだろうなあ、と読了した時に思いました。

ところで、「学習の高速道路」と言う考え方があります。
将棋の羽生善治氏が語った言葉で、「ITとネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということです。
でも高速道路を走りぬけた先では大渋滞が起きています。」と言った内容です。
確かにITとネットの進歩によって、ある程度のレベルに至るまでは高速道路を通るように素早く、知識を得ることができて学習することが可能になったと思います。
そこから先、大渋滞を超えるためには最終的には各人の個性、指向、好みが重要になってくると思いますが、アオヤマ君には明確な目的があって、考える頭があって、調べる環境があって、彼しか持ち得ないデータがあるので、彼は高速道路を通り過ぎた後に独自の道無き「けもの道」を進んでいけるはずです。
彼の行く「ペンギン・ハイウェイ」の先が、朗々たる未来であることを願わずにはいられない、とてもとても面白い本でした。