酸っぱいブドウ
キツネが手の届かない位置になるブドウに対し「あのブドウは酸っぱいんだ」と、ブドウが手に入らないことを合理化する話があります。
味を知らなければ「酸っぱいんだ」と思い込むこともできるかもしれませんが、例えばたまたま何かの拍子に一粒がポロッと落ちてきて、それを拾って食べたら極上に美味しかった場合、もう「酸っぱいんだ」と合理化することができなくなるような気がします。
そうすると、「あそこに美味しいブドウがある」と知っているにも関わらず、手に入らないという状況に陥ってしまいます。
悲しいです。
しかし「味を知らない」よりは「美味いと知っている」方が、段階としては一つ進んでいます。
ということは、あとはどうにか手に入れる方法を考えればいいんです。
私個人としては、例え今は手に入らなくても、知っていた方がいいかな、と思っています。
ブドウを食べるために根性を出すか、もういいやと諦めるかの選択肢が生まれるだけでもその価値としては恐らく充分です。
でもブドウって手に入ったとしても色々面倒なんですよね。
種とか皮とか。