どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

ハカセという職業

末は博士か大臣か。 こんな風に大臣とも並び称されることもある「博士」ですが、その実態は中々厳しいです。 京都大学の柳田先生(分子生物学を研究なさっています)が、ご自身のブログの中で「博士号」について書かれていました。 柳田充弘の休憩時間 ;博士号取得者の資格 柳田充弘の休憩時間 ;悪循環を断つためには 柳田充弘の休憩時間 ;博士ユニオン[組合]を結成したら 柳田充弘の休憩時間 ;誤算の感覚 ちょっと長いですが、これを読んで頂ければ現在の日本における「博士号取得者」の実態がある程度わかるのではないかと思います。 何度かこのブログにも書いているように、私は現在大学院の博士課程に在籍しています。 博士に進学すると就職が不利になることも、今後選び得る選択肢が大幅に狭くなることも、承知の上で進学しました。 承知してはいたのですが、やはり「本当にこれで良かったのか?」という疑念は消えないまま、胸の中でもやもやしています。 柳田先生が、ご自身の体験を次のように書かれていました。
わたくしの個人的体験ですが、大学院で博士課程に残ったときに、しばらく経って、人生で相当大きな誤算をしたのではないかと、かなり参ったものでした。学問に向かないと思う以前に、学問をやってる人達とあまり合わないとおもったことと、こんな世界に入り込んでもうどこにもでられなくなるのではないかという不安でした。博士の学位を取っても、いわゆる足についた米粒的意義しかないことはわかってましたし、一方で学位が無ければ研究者にはなれないこともよく分かっていました。出ることも、引くことも困難、そんな感じがありました。
出ることも、引くことも困難、というのには、完全に同意です。 将来、研究者としてどうなるか全く見えないにも関わらず、一方で研究者としての道しか見えないような、どうしようもない気持ちです。 柳田先生は、スイスの大学の研究を始められたことで、この誤算感覚から解放されたそうです。 自分の場合は、これから一体どうなるんだろう。 10年後、どうにかこうにか上手くやってるといいんですけど。