世のため人のため
行動の動機に「人のため」と何の疑問もなく言える人のことは、信用するのがとても難しいです。
「人のため」になることを志すんですから、その志自体は非常に立派だと思いますし、応援もしたいです。
そしてそれを実際に行動に移した場合は、評価されて然るべきものでもあります。
でもやっぱり信用はできません。
少なくても私は、自分以外の人間が何を考えていて、どうして欲しいかを正確に掴むことはできません。
ある程度を察することはできますけど、それは相手の極々一部分にすぎません。
他人のことが分からないのに、行動の動機に「人のため」を使うことに対しては、非常に大きな違和感を感じてしまいます。
少し突き詰めて考えると、「人のため」というのは「人のためになりたい自分が望む」ことであるため、これは自分自身の欲求に起因したものであると言えます。
ならばこれは「自分のため」、つまり自分の欲求を満たすための行動であると考えた方が自然です。
念のために言っておきますけど「偽善」とは全く違います。
「偽善」というのは自分自身の利益を最優先で考えた場合の行為ですから。
あくまでも他人の利益を考えていると言う点で、「偽善」とは明確に異なります。
ただ、その行動の出所は「自分自身」であるという認識です。
「人のため」「あなたのため」、こういうのは一見とても良いように見えます。
しかし、これは行動の責任を他人に押しつけていることに同義です。
「人のせい」「あなたのせい」と言っても本質的に同じだと思うので。
このことを意識していない人のことは、あんまり信用はできません。
「あなたのためを思ってこうしたのに(どうしてそれが分からないの)」とか言い始めたら、もう末期です。
なまじ「あなたのため」を思っている意識があるので、頑なな場合が多いように思います。
それならば、「俺のためにお前はこうしろ」と言われた方が、まだ交渉の余地があります。
自分の目から見て「世のため」「人のため」になることをしているにも関わらず、「俺がやりたいからやってるだけですよ」と笑いながら言える人ってのは、最高にカッコいいと思います。
そういう人になりたいですが、まだまだ自分にはレベルが高すぎます。
せめて「人のせい」にはしないような行動を取りたいと思いました。
自分のことなんだから、「自分のため」「自分のせい」に帰結できるんだ、という当たり前の文章でした。