偏光グラス
情報を判断するときには出来うる限り思いこみや偏見を廃したいと、常々思っています。
「誰々が言ってたから」とか、「何々に書いてあったから」という理由ではなく、その情報そのものを対象として判断したいです。
「判断」というものの性質上、どうしても「私」というバイアスは掛かってしまいますが、それ以上の色眼鏡を通しては判断したくありません。
でも、これって実はとても難しいです。
他人と会話することを考えた場合、「会話」というのは互いのバイアスのやり取りのことですし、他人の書いた文章には、書いた人のバイアスが掛かっています。
「判断」の基準を自分にのみに求めたいのならば、自分の五感で得た情報のみによる判断になってしまいます。
それではどうしても情報の量が限られてしまうため、実際には他人のバイアスを含んだ情報も必要とせざるを得ません。
他人のバイアスを含んだ情報から、如何に「まっさら」な情報を復元できるか、が重要なのだと思います。
特に、これだけたくさんの「偏見に満ちた」情報が容易に手に入るような環境では。
情報の「インプット」という観点では、他人のバイアスをなるべく取り去って判断することが自分にとってはとても大切ですが、「アウトプット」という観点では少し違ってきます。
情報をアウトプットする際には、「自分バイアス」をガチガチにかけることで、情報に付加価値を付けようとする場合が多いです。
「批評」とか「オリジナリティ」とか「自分らしさ」とか「感想」とか、全部そうです。
と言うわけで、常々このブログには色眼鏡どころか強力な偏光グラスなみのバイアスをかけて文章を書いています。
私の持っている考えや偏見が山盛りです。
読む際には、できるだけこの偏光グラスを取り去って判断してください。
でも取り去った後には、何かを判断できるだけの情報は残って無さそうです。