どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

違う道

いつもと違う道を通ると、なんとなく新鮮な気分になります。

違うのはほんの一本の道で、目的地は同じであったとしても、いつもと違う道を歩くことは楽しい気分になります。

それはきっと、「知らないから」です。

いつも通る道は、いつも通っているだけあって、何処に何があるかを大体把握しています。

そこに居酒屋さんがあって、交差点を越えるとクリーニング屋さんがあって、奥まったところに喫茶店があって。

車はそこそこに通って、人もそれなりにいて。

その道の性質をしっかりと知っていて理解していると、目に映る事柄が新鮮さを失います。

予想外のものに出くわす可能性が極めて低いんです。

目には映しているけど、脳では処理をしていない感覚。

逆にいつもは通らない道を通ってみると、そこは私の知らない世界です。

何も知らない道であれば、見えるもの全てが新しい情報です。

そして新しい情報は、気持ちを高揚させます。

最近、違う道を通ってみることが面白くて仕方ありません。

主には帰り道すがら、ちょっとだけ違う道を通ってみています。

ほんの5分違う道を歩くだけですけど、これがなかなか良い気分の切り替えになります。

凄く楽しいです。

でもちょっと難しいのは、「知らない道」も何回か通るとそこはもう「知ってる道」だと言うことです。

段々と新鮮味が失われてしまいます。

その場合はまた、違う知らない道を歩いてみたりもしています。

そして、新しい道を開拓するたびに、目的地の自宅が遠くなっています。

家に帰るために道を歩くのか、道を歩くために家に帰るのか。

「勿論家に帰るため」と即答できなくなったときが、脇道マスターへの第一歩ですね。