どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

例えば、ネットでのうつ病テストみたいなものでも、DSM-IVでもいいんですが、あるいは簡単な性格診断みたいなものでも良いんですが、ああ言うのって「何個中いくつ当てはまるか」という感じの診断のようなことが多いように思います。
そして「○個しか当てはまらなかったから、大丈夫」と胸を撫で下ろすわけです。
あるいは、絶対にうつのはずなのに!と憤慨するわけです。
憤慨している段階で鬱ではなさそうですけれど。
ちなみに私はあのような「うつ病診断」のようなものをやると、確実に「うつ」になります。
そういう性格なんです。

で、例えば1個しか当てはまらなかったとしても、その「1個」の質は意外に大事なんじゃないかな、と最近考えています。
性格の偏りと言うか、特徴と言うか。
そしてこの「偏り」があまりにも程度が激しくて、あまりにも周りを巻き込むようなものであった場合、それは「正常」の範囲内なんだろうか、と最近考えてます。

「1個」の偏りをどう定義するかで議論は変わってくると思うのですが、「周りの人に与える影響が(主に負の面で)大きい」と定義するならば、換言すれば「周りの人を悩ませる」と定義するならば、その1個は「想像力の欠如」だと考えてます。
もう少し具体的に言うと、「自分の行動・言動が、相手をどういう気持ちにさせるか」を正しく想像できない人、です。

周りを見ていて、私が上記の定義に当てはまるかな、と考える人が、数人居ます。
その数人の持つ言葉の力は絶大で、たった一言、たった一通のメールで周りの人の気持ちを掻き乱します。
私が100の言葉を用意しても、その混乱を収めるには足りません。
そして、また彼らの一言で、状況は一段階悪くなります。

また、「1個」ではなくなってしまいますが、「彼ら」は「相手の行動・言動が、どういった気持ちに起因するのか」も正しく想像できないように感じます。
「言葉は通じているのに、話は通じない」感覚。
それでも話をしなければならないもどかしさ。

長々と書いてしまいましたが、抜本的な対処法が見つからないのが、目下の悩みのタネです。
さてどうしたもんかなあ、と考えているうちに、年度が変わりそうですね、そろそろ。