目を逸らさずに
もし、自分にとって都合の良くない話題があった場合、どうするのが適切なんでしょうね。
少なくても隠したり、無かったことにするのは得策ではありません。
隠し事というものはよほど上手く隠さないと結局は見つかるものですし、見つかったときの批判は最初から公表していた場合の批判とは質も量も桁違いになるからです。
その「都合の良くないこと」が「過去の失敗」であった場合、その事実から逃げずに、冷静に批評を行うことが、今後の糧になることはおそらく間違いがありません。
そしてその反省から、今後の方針を決定するというのが、物事を進める上での筋なのではないかと思います。
しかし、上記の二つ以外の選択としてもう一つ、「もっと大きな(センセーショナルな)話題を用意して、目をくらませる」という手段があります。
広義には「隠す」の一手法であるのかもしれません。
典型例は、今年の1月18日ですね。(該当記事はこれ)
今、世界中でお祭り騒ぎのワールドカップ。
日本代表は残念ながら力及ばず、グループリーグ敗退となりましたが、個人的には選手はよくやったと思っています。
監督も、彼の信念に則って戦ってきたと言う意味では、彼なりのベストを尽くしたんだと思います。
しかしその親玉である「日本サッカー協会のキャプテン」は彼の責任を逃れられることはどう考えてもできません。
4年前に、トップダウンで監督を決めた、彼の一存で強引に決定した全責任は、当然のことながら彼に帰属するからです。
その彼が最初にしたことは何か。
「次期代表監督」の名前を、意図的に「ついうっかり」漏らすことで、批判の矛先を回避しようとしていることです。
現在名前の挙がっている「次期代表監督候補」には、何の不満もありません。
むしろこちらから、三顧の礼を尽くしてでもお願いしたいくらいの人です。
でもやはりそれとこれとは話が全く別です。
それに「次期代表監督候補」の人は、現在Jリーグのチームで監督をしています。
こんな強引な手法で引き抜くことがまかり通るなら、クラブ側としてはたまったものではありません。
筋を通さないことは、ここまで見苦しいことなんです。
ドイツで戦ってきた選手たち、そして監督は、いったいどんな気持ちでこの茶番を見ているのでしょう。
こんなことが起きてしまって、しかもその目論見が(少なくてもリアルの世界では)上手くいきそうであるという事実が、ただただ悲しい。