どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

エイプリルフール

「エイプリルフール」よりも「4月バカ」の方が個人的にしっくりくるのは、きっと小さい頃から「ドラえもん」を読みすぎていたからだと確信を持ってます。

有名な「帰ってきたドラえもん」で未来に帰ったドラえもんのび太の元へと帰ってきたのも4月1日の出来事ですね。

折角4月1日なのだから、何か気の利いたウソをつきたいと思ったものの、ウソが思いつきません。

ウソをつくのも才能と努力が必要なんです。

なので、今日は昔書いた記事の中から「4月バカ」に適切かなー、と思うものをサルベージします。

手抜きではないですよ、多分。

以下、その記事のコピペ。

不完全性定理

http://dokotonaku.jugem.jp/?eid=721

数学の世界では、「証明」されたことについてはもう議論を挟む余地はありません。

年月や、人物や、理論や、主義主張には関係なく、数学的に証明されたことは絶対に正しいことです。

数学こそが「真理」に最も近い理論です。

その昔、ヒルベルトという人が「数学理論には一切の矛盾が無く、どんな問題であっても真偽の判定が可能であること」を証明しようとしました。

換言すれば数学の「完全性」を証明しようとしました。

これを「ヒルベルトプログラム」と言います。(1930年代)

多くの数学者がこのプログラムに関わり、着々と成果をあげていきました。

しかしラッセルが「数学の完全性」の矛盾を発見し、ゲーテルが「数学は不完全であること」を証明してしまったことで、「ヒルベルトプログラム」は終焉を迎えました。

ゲーテルの不完全性定理は以下の通りです。

1) 第1不完全性原理

ある矛盾の無い理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が、必ず存在する。

2) 第2不完全性原理

ある理論体系に矛盾が無いとしても、その理論体系は自分自身に矛盾が無いことを、その理論体系の中で証明できない。

ちょっと難しいので、具体例を挙げます。

例えば、「私は嘘つきだ」と言ったとします。

この言葉が「真実」であれば「私は嘘つき」になりますが、「嘘つきなのに真実を言った」ことになり、パラドックスが生じてしまいます。

逆に「嘘」であれば、「私は正直者」になりますが、「正直者なのに嘘を言った」ことになり、やはり矛盾が生じます。

同様に「私は正直者だ」と言った場合を考えます。

この言葉が「真実」であれば「私は正直者」なので問題なく成立します。

この言葉が「嘘」であれば「私は嘘つき」なので、やはり問題なく成立します。

つまり「私は正直者だ」という命題は、真でも偽でも成り立ってしまい、結局どちらとも決定できません。

これらを「自己言及のパラドックス」と言います。

数学、特に「集合論」の部分に、この「自己言及のパラドックス」が存在してしまうために、「数学の完全性」はあり得ません。

ところで、「俺って正直(嘘つき)だからさー」とか言う人は実際問題として結構居ますよね?

でも、上記の通り、自分自身でその言葉を証明することは絶対にできません。

そういう、証明できないようなことを言う連中のことは、信用しない方がいいですよ。

私は正直者ですから、彼らを論破する方法をここに置いておきます。