どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

パラレル同窓会

私は今、博士課程3年の学生で、一応今年度末に大学院を修了する予定です。

そしてまだ来年度の行き先は決まってませんが、ここではないところでポスドクをするつもりでいます。

あ、私を雇いたいと思われたり興味を持たれたりした方は是非連絡をください。

上にメールフォームがあるので、遠慮なく!

まあ、こう書くと連絡がないことに絶望するわけですが、それもまた楽しみの一つです。

私の現状としてはこれで過不足なく説明できていると思うのですが、最近「もし違う生き方をしていたらどうなっていたのかなあ」ということをよく考えます。

自分とは違った生き方をしている人達と話す機会が多かったからかもしれません。

過去にあった分岐点ごとに、各々の分岐点を選んだ場合の別の世界が生じていた場合、「私」もその世界と同じだけ存在している(存在していた)はずです。

その中には研究者を志している私だけではなく、あらゆる可能性の私がいるはずです。

「私」にとっては例え世界が沢山あったとしても、知覚できる世界は一つだけなので、私と「他の可能性を選んだ」私とを比較することはできません。

でも仮に比較できたとしたら、私は他の私になりたいと思うのだろうか?

考えるととても難しい問題でした。

一応、運の良いことに私は今までの選択肢を自分の選びたいように選んできました。

その時その時で自分の望む選択をしてきたわけですから、今がベストであるとも考えられます。

でも選択したあとで取り返しがつかないな、と理解したことも多かったため、結果論として言うなら現状がベストであるとは言えないかもしれません。

これは過去に別の選択をしていた場合も同様に言えることだとは思いますが。

仮に「他の私」が目の前に現れて、「人生交換しない?」と持ちかけてきたとします。

どんな人生だったら交換に応じるのだろう。

きっと凄く小さな世界で何の不安もなく、息をするだけで人生を全うできそうな「私」以外とは交換に応じないように思います。

そして交換したあとに「やっぱり交換しなければ良かった」と思うんです。

とりあえず、直近の選択肢は「このエントリを書くか否か」でした。

「書く」を選んだことで、もしかしたらこれが私の人生にとって大きな分岐点となりうるかもしれません。

このような些細なことが大きな影響を持つ可能性があることも考えると、家を出るときに右足から出るか左足から出るか、についても意外に真剣に考えたほうが良さそうです。

どちらが良いのか分からないのが難点ですが。

明日は右足から、外に出ることにします。