どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

人間は考える周辺機器である

最近、と言っても随分昔で7~8年前くらいから、一日の中でパソコンに触れている時間が結構な割合を占めるようになりました。
パソコンの質が日常生活の質に繋がってしまうような、そのくらいの割合です。
2002年3月に購入したiBook G3、2005年2月に購入したPowerBook G4、2008年3月に購入したMacBook Proと、確実に私にとってのPersonal computerの質は向上してきました。
ラインナップを見て頂けば分かるように、マカーです。

毎日何時間もMacに触れて、ディスプレイを睨み、ネットの中を彷徨い、面白くない文章を綴るという作業を今まで続けてきて、多分これからも続けることになると思うのですが、これだけパソコンに「接続」されている時間が長いんですから、もはや私はこのMacにとっての「周辺機器」の一つなんじゃないかな、と言う気持ちになります。
パソコンにとっては、接続されて何らかの機能を有しているデバイスは「周辺機器」なんですから、「私」はパソコンの「機能の方向性を規定する」機能を持つ周辺機器なんです。
ドライバはMacに最適化されてます。
とりわけブログを書いていて感じることは、このブログを通じてしか「私」を知らない人にとっては、私が本当にパソコンに繋がれているだけの単なるデバイスだとしても、全く問題がないということです。
今まで内緒にしてたんですけど、実はただの周辺機器でした。

ところで、最近、この周辺機器の調子が良くないんですよね。
仕事で書いている文章はなかなか出力しないし、ブログはもっと出力しないし、でも主にブラウザからの入力だけは激しいし。
入力されるデータは仕事に関係ないし。
叩けば直るかもしれませんが、叩かれる状況というのはさすがにちょっとマズいです。