どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

信じるチカラ

タイトルがちょっと怪しいアレに見えるかもしれませんが、決してそんなアレな話ではなく、言われるまでもないごくごく当たり前の話です。
今日は12月23日、明日は12月24日、明後日は12月25日で、それぞれ「天皇誕生日」「クリスマスイヴ」「クリスマス」と、(神道に関わる)日本国の祭祀を行う現最高神官の誕生日と、世界三大宗教の一つであるキリスト教の始祖の誕生祭とが近接する、とても「宗教色」の強い季節です。(ちなみに政教分離によって天皇(皇室)と神道の関わりは昔に比べたら変節があるのかもしれませんが、詳細は知りません。)
あと一週間も経つとお寺で除夜の鐘を鳴らして(仏教)、その後は神社で初詣(神道)です。
一年の中でもとりわけ宗教関連の時事が多いです。

「宗教」まで考えると大変ですのでもうちょっと身近な感じで考えたいと思いますが、いわゆるおまじないだったり占いだったりあるいは迷信として括られてしまうような風習だったり、少し考えるとそのような小さな「信じること」が、身の回りには意外に多いことに気づきます。
例えば、「大安/仏滅」とか、「夜に爪を切ってはいけない」とか、「B型は迫害されてしかるべきだ」とか。
このような事柄を「合理的根拠が無いから意味が無い」と切り捨てるのは簡単です。
実際に合理的な根拠がない場合の方が多いのではないかと思いますし、私自身は特に気にしていません。

ここで、「私自身は」と書きましたが、このようなことを信じる人や、信じないまでも何となく気にする人は多いです。
私もおみくじで大吉が出ると嬉しいと思いますので、本当は私自身も「気にする人」なのかもしれません。
そして、合理的な根拠が無いとしても、このように「信じられていること」「気にされていること」として、人々の意識の遡上に存在しているならば、存在している以上、それらは間違いなく影響力を持っています。
B型の私がいくら論破しようとしても、A型勢からの眼差しには変化がないんです。

影響力を持っているのであれば、それはもう「影響力を持っている」として取り扱わないとならないのかなあ、と思っています。
影響力を行使するのはあくまでも信心を持っている人ですが、行使する人がいる限り、その事柄はやはり影響力を持っているんです。
影響力がなければ、こんなにも街中に赤い服が溢れていたり、「クリスマスイヴはどうしようか?」「うふふ」みたいな会話が為されているわけがないんです。

と言うことで、特に大したオチはないのですが、合理的な根拠が無いからといって十把一絡げにするのではなく、明らかな悪影響があるもの以外は、それなりの信心をもって楽しめばいいんじゃないかなあ、と思いました。
とりあえず、年が明けたらみんなでお祓いにだけは行ってこようと思ってます。