どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

大きな地震の後のこと

地震から3週間が経とうとしています。
仙台の街を見ていると、確かに日々復旧、復興している様子が感じられて、間違いなく時が流れていることを意識するのですが、頭の中では全然「3週間」が理解できなくて、時が止まっているかのような、そのような感覚がこびり付いています。

そんな、時が止まっている間の出来事を、取り留めもなく記しておこうと思います。
忘れるんですよね。今でさえも。

自宅に関しては、地震直後はライフラインは全滅でした。
水道も、電気も、ガスも。
今(3/31)もガスはまだです。
この状態で役に立つものは、カセットコンロ、ラジオ、ろうそくです。
情報源はラジオしかありませんでした。
携帯は自宅付近に関しては、基地局がやられたらしく、圏外。
そもそも充電もできません。
ラジオから聞こえてくる情報が全てで、聞こえてくる情報は混沌としてて。
電気、水道が復旧したのは地震から2日後。
かなり早い部類だったと思います。

物資不足も、直後の週は特に顕著でした。
仙台市内なのでまだマシではありましたが、食料を手に入れるためにも数時間並ばないとなりませんでしたし、その他の必要な物も、手に入る状況でもありませんでした。
ダイエーに並んだり生協に並んだり。
普段は買わないお菓子もなんとなく買ったりして。

現在もまだまだ手に入りにくいものが、ガソリンです。
地震の時、私の車には約半分のガソリンが残ってました。
なるべく車を使わないようにはしていましたが、車が必要な日もあり、3/26に給油をしました。
その頃には「手に入らない」から「頑張れば手に入る」くらいには改善していたので、6時間ほどガソリンスタンドに並んで給油できました。
ちなみに、レギュラー車ですが、やむなくハイオク満タンです。
しかし、自分も並んだので大きなことは言えないのですが、現状でもこの「ガソリンスタンドに並ぶ」車が大渋滞を引き起こしていて、色々なものの妨げになっています。

職場に関しては、被災地の中でもほぼ最優先で復旧がなされる場所でしたが、自分の研究室のある建物の被害が大きく、中々再開の目処を立てられる状況ではありませんでした。
また、研究室の中で震災後に自由に動ける立場の人間が自分しかいなかったため、毎日一応出勤しては、情報の収集と可能な限りの復旧、連絡、取りまとめ等をやっていました。
「研究」は、停電、断水等でダメになった物が多すぎて、正直、見通しも立ちません。
冷凍庫の中の物、融けちゃいましたし。

祖母の家は、人が住める状態ではなくなりました。
ただ、祖母のいた居間だけは無事だったのが本当に良かったです。
叔父叔母の家は津波で一回部分まで浸水したようです。
でも、こちらも全員無事だったので、安心しました。
一週間位連絡が取れない状況というのは、気持ちには良くありません。

自分の周りの、本当に小さい範囲については、こんな感じでした。
もっとマクロなことで思うことも無くはありませんが、まだ総括する時期では全然ないと思うので、そのうちにでも気が向いたら書くかもしれません。
ただ、当たり前のこと過ぎますけれど、今回のことで多くのヒトの人生が変わったと思います。
恐らく、自分も。
比較はできませんけどね。

次回からは普通の話に戻りたいなあ、と思っています。
「次回」がいつになるかは、まあおいおい。