どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

分からないこと

「分かりません」という言葉があります。

何らかの質問して(されて)、「分からない」と答える場合にはその意味は大きく分けて3つあると思います。

「知らない」ことと「理解できない」ことと「知りようがない」ことと。

「理解できない」は、本人の能力や経験に至らない点があり「解らない」のですが、これは本人次第で「理解できる」ようになる可能性があります。

だからこの「分からない」は一先ず置いておいて、今回私が比較したいのは「知らない」と「知りようがない」についてです。

何故こんな話題を取り上げるかと言うと、私は自分が「知らない」だけのことを「分からない」ということに抵抗を感じるからです。

調査なり勉強なりすれば「分かる」可能性のある事柄だと思うからです。

一方で「知りようがない」ことは「分かりません」。

つまり「分からない」という言葉の意味から「知らない」を取り除きたいと換言することが可能です。

別に知らないこと自体は全然構わないと思ってます。

その「知らないこと」の中から、時間をかけて必要なことを知ればいいだけだと思いますし。

ただ、例えば自分の仕事や生活に関することであるにも関わらず、しかも少し調べれば知ることの出来る事柄に対して「分からない」と言うのはどうなんだろう?と思ってしまいます。

それはどう考えても「知らない」だけ、「知ろうとしてない」だけだろ、と。

「知りようのないこと」、例えば私の分野で言うなら、世界中の誰もまだ実験したことの無い研究の結果、とかは知りようがありません。

推察は可能ですけど、いくら調べても考えても答えは「分からない」です。

その場合は自分でその実験をやってみるしかないです。

私には「知らないこと」「分からないこと」が沢山あります。

「知らないこと」を少しずつでも減らして、「分からないこと」を解きほぐす足がかりにしたいなー、と思ってます。

世の中「知らない方が良いこと」も沢山ありそうですけど、それはまた別の話。