言葉に意思は無い
何度か書いたことがあるんですが、私は基本的に「言葉狩り」と呼ばれることが好きではありません。
言葉に意思を乗せるのは、その言葉を用いる人の問題であって、言葉はツール以外の何物でもないからです。
だから、こう言うことをされると気になって仕方ありません。
日本魚類学会(松浦啓一会長)は、「バカジャコ」「イザリウオ」など差別的な言葉を含んだ魚の標準和名を改名する。見聞きした人を精神的に傷つけたり、不快感を与えたりすることがある上、博物館や水族館などが別名への言い換えをバラバラに行う例も多く、混乱を解消すべきだと判断した。
改名するのは、日本魚類学会標準和名検討委員会が差別的と判断した「メクラ」「オシ」「ミツクチ」など九つの語を含む魚で、日本産の魚類約3900種のうち30種が対象。同様の言葉が「種」より上位の「属」や「科」などの分類単位に使われている例もあるため、計49の標準和名を同時に改名する。
言葉というものは、乗せる意識によって印象が全く異なるものになります。
言葉が人を傷つけるのではなく、意識が人を傷つけています。
もし言葉を規制するだけで意識そのものを規制できるのならば、「差別」という言葉を規制すれば済む話です。
「あいつはホント、バカだよなー」という字面は、どうにでも解釈できますし、状況によっては最高の褒め言葉たることさえあります。
今回規制される「メクラ」は「盲」、「オシ」は「唖」、「ミツクチ」は「三口」、「イザリ」は「膝行り」と漢字で書きます。
それぞれ「目が見えないこと」、「口がきけないこと」、「口唇口蓋裂」、「膝で歩くこと」を表した言葉に過ぎなく、それを差別的と感じるのは差別意識のある場合に限ります。
「この言葉は差別的だ」と感じる人にこそ「差別意識」が存在しています。
言葉を規制したところで、意識が変わらない限りは状況は全く変わりません。
魚に限らず、生物に限らず、「名称」には歴史的文化的背景が存在します。
その背景を無視してまで名称の変更を断行する価値があるようには思えません。
こんなことを考えている暇があったら、歩道の点字ブロックの上に自転車を駐車するバカが出ないような教育、啓蒙を進める方が余程有意義だと思いました。