自己矛盾
一個前のエントリで、「名称には歴史的文化的背景が存在する」と書きました。
そんな一例を見つけたので、簡単に紹介します。
「トゲトゲ」というハムシの仲間の虫がいました。
その名の通り、「トゲ」があります。
そして、この「トゲトゲ」の近縁種で、トゲのないものが発見されました。
「トゲナシトゲトゲ」と名付けられました。
トゲのないトゲトゲだからです。
そしたら今度は、「トゲナシトゲトゲ」の近縁種で、トゲのあるものが発見されました。
「トゲアリトゲナシトゲトゲ」と名付けられました。
トゲのあるトゲナシトゲトゲだからです。
この例の場合は、「トゲトゲ」→「トゲナシトゲトゲ」→「トゲアリトゲナシトゲトゲ」の順番で発見されたからこそ、このような名前になってしまいました。
もし発見される順番が逆だったら、今の「トゲアリトゲナシトゲトゲ」が「トゲトゲ」で「トゲトゲ」が「トゲアリトゲナシトゲトゲ」だったんだなー、と空想するのもまた面白いです。
こうなると俄然、トゲのない「トゲアリトゲナシトゲトゲ」を発見したくなりますよね。
いくら安易だ安直だ、と批判されても、名前はもう「トゲナシトゲアリトゲナシトゲトゲ」以外にはあり得ないと思うんです。