どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

意識を少し、未来において

ちょうど一年くらい前にこんなことを書きました。

どことなくなんとなく;時間を超えて

肉体としての体は時間の拘束を逃れられませんが、意識としての自分は時間の拘束は受けません。

意識を未来におくも現在におくも過去におくもそれは自由です。

デフォルトの状態では意識を「少し未来」において、たまに「過去」におくことできちんと考え直す時間を持つのが良いのかな、と感じました。
刻一刻と「未来」は「現在」になり、「現在」は「過去」になっています。

この流れに抗うことは出来ませんが、意識としてどこに重きを置くかの選択権はあります。

「過去」に置くか、「現在」に置くか、「未来」に置くかは自由です。

私自身は「少し未来」に意識を置きつつ、「現在」を乗り切って行きたいと考えていました。

ただしこのためには、「少し未来」を明確に思い描く必要があるので、その正確なビジョンが見えないような状況だと「少し未来」に意識を置くことが難しくなります。

見えない未来しか描けない「現在」に捕らわれてしまいます。

未来というのはいつでも不確定ですが、不確定要素が大きすぎるんです。

「今」で一杯一杯。

この不確定な部分を少しずつでも確定させることで、より明確で具体的な「少し未来」が見えるようになり、そのことがまた不確定な部分を確定させる要素にもなり得ます。

このような意識こそが「意識を少し未来に置く」ことそのものなのかもしれませんけど。

少し先を見るために、色々と確定させないとならないことがあります。

確定させた先に見える未来が、自分にとって良いものであることを期待してます。

具体的には、今の研究室から出て行って、環境を変えたいです。凄く。